「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
 
味」以上のものではないだろう。何故なら私たちは、生命に代わる何物かを知らず、気がつけば生命であったにすぎないからだ。生まれ、そして死んでゆく生命に意味があるように見せているのは、見送る者がそれを付加するからでもある。誕生も死も、最後は他者にとっての問題であり、自身にとっては強いられた事実としてあるだけかもしれない。事実から価値は決して導き出されないというこのとき、幻想が、事実に価値なる“擬態”を許している。だから思考されることなく他者の考えを切り張りしただけの、一見全き正当でグローバルな「私の価値観」なるものは脆弱なのだ。いずれにせよ私たちには、生命と死とが、自分を透過してゆく、ただの現象であると
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