「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
 
ついてもあれほど映像として、またその背後にあるものを見せ付けられて、おそらくは殆どの人がそう感じているのだろう。だが戦場で不幸にも流れ弾に当たって死ぬことと、道端で工場中のマンホールに落ちて死ぬことにおいて、或る生命がそれ自身にとっては、実は同じことではないと言い切れるのだろうか。何故なら、私たちは誰ひとりとして一度も死んだ経験を持たないのだから、その価値について言うことができるのだろうか。犬死にだったか、大往生だったかは、残った者が決めていることである。どんな形でそれがやってこようと、生命にとっての死は、ただ死であり、その人の死であり、そこに社会や感情が意味を込める余地を、当の死者(不可知)はど
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