「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
ることができるかもしれないが、ふと醒めてみると、社会に、地球上に流布する「価値」のほとんどが、この「生命至上」の変形であることに気づく。間違っている、というのではない。何故、皆そう思っているのかが、よく分からない。
例えば、子供が生まれることを「おめでた」という。確かに、古代農耕社会とその国家にとって、出産とはそのまま実りをもたらすものだっただろう。「めでたい」は、おそらくその名残りなのだ。しかし、もはや出産と生産力とが直結していない現在において、何故それはただの「現象」として見られることを拒むのだろうか。
あるいは同列に「平和は尊い」、という。なるほど、イラクやアフガンへの制裁につい
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)