信ずるな、考えよ!/カスラ
 
望むのも普遍的な事実の方であって、各人が抱いている個別的な信条、信念ではない。これがむしろ「狂信」というあの極端な意識ならば、「私は信じる」という表現をとらずに、「事実がそうである」と言い切って動じることなどないであろう。このように「信じてる」意識とは、意識が何らかの対象的な観念において、巧妙に、あるいは愚かしく、慣習的に、自分自身を忘却している状態であるならば、「信じる」と発語することは、忘却しきれない不安を揉み消し、その観念になりおおせてしまうための呪文を唱えるようなものだ。つまり、「信じる」という表現は、このとき「信じたい、信じよう」という意志の表明に他ならない。しかし、意識は、信じようとし
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