俳句の授業?/カスラ
岐路で、生存することを捨てた。現世的な欲望として生存することがどうしてもできなかったのだ。彼は己の宿命のままに生きることしかできなかったし、そうであったからこそ静寂で水晶のような言葉を紡ぐことができたに違いない。
資料を調べていて偶然知ったのだが、明日、四月七日は放哉の命日であるそうだ。中学時代の詩歌の授業の話しを書こうとして、(賢治や高村光太郎ではなく)何故か好きでもなかった放哉の句を先に思い出したのか、不思議でもある。
今、もしまた国語の授業でこの句について、何をや思うのかと教師から尋ねられたら、もしかしたらこんな話しをするだろうか。
戦国時代のまだ前、室町の頃、世は荒び
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