追伸/はらだまさる
 
は考えていますが、出来ないと考える人がいるのも理解しています。なので、こういう場合は、受動する側(文学の場なら、読み手)の選択、読み手の自由が尊重されなければいけないのだと思っています。
「読みたくない人の作品は、読まない。深く入りこまない。」
 それは自己管理、というかその読み手の精神状態によっても同じ作品を、春に鑑賞するのと冬に鑑賞するのとでは、感じ方が違うように、もし仮にある酷い文体の詩作品を読んでしまったとしても、もう少し長いスパン(十年とか二十年)で、その詩を捉えたらいいんじゃないかと思います。今は酷く傷つけられる言葉でも、ある人を励ますために強い愛情でもって書かれているものでもある
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