清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について/田代深子
の文体は、はたして「言文一致」した言語表現であったろうか。そもそも、このようにわたしが書いている「論文調の」文章など、話すように書かれたものではあり得ない。
文語文は、中国の文体を日本語として読み解く外国語である。それに比べれば現代の書き言葉と話し言葉の文法は一応同一であり、書かれた文体をそのまま日本語として音読することが可能だ。しかし書き言葉と話し言葉は本質的に違っている。それは文体が含有する時間量の違いであると言えるだろう。話すとき、われわれは感嘆詞や擬態語を突発的に多く用い、名詞一語で終わることもあれば、動詞から始まるバラバラな語の並びを投げ出しもする。文章を書くときのように、あらかじめ
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