清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について/田代深子
 
。しかし清野が展開したのは言文一致運動の多大な担い手として近代文学(内/外の葛藤)が誕生し発展したのと同様、インターネットにおける言語表現も新たな文学(新たな内/外の葛藤)の担い手となるべきであろう、という、いわば彼の希望論であった。対して私が思うのは、清野が気づき指摘していながら「メディア特性」として言及を止めてしまった、インターネットにおける言語表現、文体のあり方そのものについてなのである。

 さて、明治期の言文一致運動は、まず何をおいても近代日本の国語を作る必要性にかられたものだった。
{引用=
 日本の文章は、漢字渡来以後中国文化の影響を強く受けたので、漢文が男子の側で公私にわた
[次のページ]
戻る   Point(20)