清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について/田代深子
いう。彼らには、いわゆる古典作品の読解(評価)について共通認識がなく、そればかりか読書経験がまずない。このことは、「ネット詩」についてさまざまに述べられてきたのと同様である。彼らは手本となる先行作品群をほとんど知ることもないまま、書き方を学ぶ要請もまたなく、インターネットにおいて書くことを始められた。そこでは文学的に何の準備もなくても、ただ「いつも話すような感じで」もしくは「なんとなく聞いたことのあるように」書けばよかったからからである。
「話すように書く」「聞いたように書く」。清野も引き合いに出したように、ここで明治期の言文一致運動とインターネットの言語表現の共通性を想起することができる。し
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