無為自然、苦しみて、苦しむことなく。/生田 稔
 
って、私が早稲田に入ったころは一人前の作家であられた。不良少年が大学〔それも東大〕には言ってそれからというのは彼の小説「遅れてきた青年」のテーマではなかったか。早稲田ではあったが、おなじことが、この大江さんと向き合っていた私に起こっていた。
   
 それかからの私は悲惨な人生をたどったのである。東京都巣鴨区西大塚の下宿からその後二十七歳十月まで五年間、鉄格子と死の恐怖に耐えねばならなかった。その五年のことを、今の私は書き出すことができない。ただ簡単に記述しておこう。
 夏休みとなり、私は郷里の京都へ帰った。近所の人々がどうも様子が変だった。そうするうちに、噂が火を噴いた。不良少年が大学へ入
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