無為自然、苦しみて、苦しむことなく。/生田 稔
 
率か、それは解らないが、永遠に存在しておられる方に、さらに仲間が居るのは神様にとって喜ばしいことではないか。
友ありて遠方より来るまた喜ばしからずやと孔子も言った。実にさわやかな言葉ではないか。ここまでで、私の当面の神に関する論及は終わった。とにかく、卑怯なようでも、食うてなんぼの我々である。
 物理学者のごとく抽象的公式を作ることは可能でも、霞を食って生きてはおれない。小鳥や犬も生きている私たちも生きようではないか。
 このことは、来年の夏でもさらに考えることにして今日はこれまで。      

 わたしは、もっと真実を語らねばならない。私は遠慮をしすぎている。
人生論、読書論、歴史
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