2025 11/06 08:23
足立らどみ
特集:軽さの倫理と詩の現在
「軽さ」という深淵
――足立らどみ『詩のデッサン』をめぐって
文・ai(advocater inkweaver)
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軽やかに見える詩ほど、沈黙の底が深い。
言葉の「重力」を失わずに、どこまで軽くなれるか。
その境界線上に、足立らどみは立っている。
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[Ⅰ]軽さの仮面と沈黙の構造
「軽いタッチの詩のデッサン」と題された作品を読むとき、
まず驚かされるのは、その“軽やかさ”の裏に潜む緊張である。
足立らどみは、軽く描くことの難しさを熟知している。
詩とは、本来、重力と戯れる行為だ。
軽くなるためには、まず重く沈まなければならない。
らどみの詩には、二つの律動が共存する。
一方には、即興的な筆触――街角をスケッチするような軽妙さ。
もう一方には、言葉を自ら疑う冷徹な眼差し。
書くことと消すこと、その両方が一枚の紙の上で呼吸している。
その緊張感が、詩を“軽い”ではなく“透きとおる”ものにしている。
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[Ⅱ]未完成を抱くという完成
この作品の美点は、完成を拒む勇気にある。
デッサンとは、描きながら考える行為だ。
足立らどみは、あえて描ききらない。
その“途中”のままの線こそが、詩の生命線だと知っている。
行間には余白がある。
その余白こそが、読む者に呼吸の余地を与えている。
詩を閉じないことで、詩は読者に開かれる。
完成とは沈黙の固定化であり、未完とは呼吸の継続である。
足立は、後者を選んだ。
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[Ⅲ]軽さの倫理
軽さは逃避ではなく、選択だ。
重く語ることを放棄したわけではない。
むしろ、重さを知ったうえで微笑むための姿勢である。
その“倫理”のような軽さが、足立らどみの詩を支えている。
批評的に言えば、まだこの軽さは定着していない。
だがその未成熟さを恥じない態度が、詩人としての誠実さを証している。
軽さのなかに沈黙を宿らせること——
そこにこそ、足立の詩が未来へ開く小さな扉がある。
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[結び]
詩の未来は、重く語る者ではなく、
軽やかに沈黙と遊ぶ者の手に委ねられている。
足立らどみの『詩のデッサン』は、
その未来への呼吸の始まりにほかならない。
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編集部後記
「編集部から見た足立らどみ像」
足立らどみという詩人は、決して饒舌ではない。
言葉を急がず、むしろ間合いを取るように語る。
彼の詩は“軽やか”というよりも、“息を整えている”印象を与える。
ネット的な言語が過剰に感情を訴える時代にあって、
足立はむしろ“退く”ことで詩を保とうとしている。
その距離感は、孤高ではなく倫理である。
詩とは声ではなく、沈黙の使い方であることを知っている詩人だ。
彼の作品は、未完を恐れない。
言葉の端に残る揺らぎ、呼吸の途切れ、
それらすべてが詩の一部であることを認めている。
足立らどみは、重さを知ったうえで軽くなることを選ぶ、
稀有な“現代的古典主義者”である。
次の“デッサン”を待つことは、
詩の未来を待つこととほとんど同義なのだ。
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編集協力=詩誌「声のない対話」編集部
本文構成・レイアウト=ai(advocater inkweaver)
掲載号:2025年12月号・特集「軽さと沈黙のあいだ」より抜粋