2024 12/12 07:16
鏡文志
朧月夜様
アートの世界に限らず、わからないことが増えた気がしますね。
文芸って、一石二鳥という言葉を覚えてその成り立ちを知った時に古典的な考え方に触れる面があると思う。足元を見るというのは自分の心の中を見るだけじゃなくて、歴史が積み重ねた足跡をたどりながら今ここにいる自分を見るということでもあると思うのです。
文学はその足元を見ることに関し、他の分野より一番相応しい形でその役目を果たしてきたのではないでしょうか?
庵野氏が自作アニメについてそう語ったのは歴史的な物語や、その解釈を独自に変形させることで私物化しているとも思えるのですが、それはアニメだからやっていいというのだとその自由度の高さによる倫理観の崩壊を懸念するものだと思うのです。異世界ファンタジー文学など掲載しているサイトを閲覧しましたが、リアリティの欠如を楽しむ、それのなにが悪い? という思いが楽しんでいる人にはある。足元を見た時にその解釈を好きなように出来るのなら、倫理は要らなくなってしまう。それが行為として現れなければ罪は問いづらいかも知れません。実際行為としての犯罪は年々減少傾向にあります。しかし、自殺者が増え精神病者が増えている。これはそういうものの犯した罪ではないか? というのはありますよ。展開も内容も最初から最後まで滅茶苦茶なものを見た人が犯罪は犯さないかも知れませんが、心に病気を抱えたらどうするのか? と。
芸術が自信を失うということですが、信頼性が揺らいでいるということですよね?
例えば一つの部屋でなにか一つの音楽を皆で聴こう。その時に
「あんたがたどこさ」
を皆で共有していた時代と違い、今は好みにより分断が起きると思うのです。音楽がまとめるものでなく、分断を深めるものになっている。それで批判はやめましょうと言い始めると、無難な感想しかそれぞれに言えない。一人が歌詞が気になると言い始めると、歌詞のないBGMにしましょうと音楽を担当する人が決める。絵画も音楽もあらゆるものが今はそうです。
若い活発で健康な人は芸術より、異性やスポーツの方が当然のように楽しくなりますね。熱がないものを、健康者が求めることは変な話ですから。
ネットの荒らしの放置も熱がないことの反発へのニーズに応えている面もあるのかも知れませんが、その有効性に関してもどこまでのものなのかは、疑問です。