【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[752]
2019 06/07 22:55
ハァモニィベル



まあ、君の「週末まで待ってろ」宣言はタッコングの言葉として、
若き仙人に届いたよ。(君の多忙を考慮して返って恐縮した。はっはっは)


では、参考までに補足して置くよ。

 善=正義 という風に頭を混乱させて平気な人がいると困るんでね。

 「正義」っていうのは、相対的なものだから、甲と乙が争えば、正義は主観としては二つある。
 これは、当たり前のことだ。
  判決は1つだから、それが妥当な正義と言えるかも知れないが、裁判官5人が全員一致とは限らないからね。それを考えても、正義は相対的だ。文化も背景も事情もそれぞれだからね。

 そのこと と 今話題にしている

<性善・性悪>という問題とを混同しては、大分あたまが粗雑だと言わなきゃならなくなる。

性善っていうのは、

私の言い方で説明するとね、悪に対する不快感がある、という感覚・センスだよ。


赤ちゃんは、赤ちゃんなのに、アンモラルな行為を見ると拒絶感を示す。そして、善良な行為に好意を示す。
何ら、理性の働きを経なくても、直感的に善良なものを好きになり愛するのが、多くの人間の自然なんだね。


 「悪に対する不快感」というのは(念の為書いておくけど)

 赤信号無視を取り締まる融通の一切きかない狭量なお巡りサンの正義とは全然違うものだ。事情を抱えた相手の
 声が全く聞こえない耳は、そもそも正義の耳とは言えないだろう。

 そして、今度は、事情があるフリをする者の擬態が見抜けないフシ穴を正義の眼とは言い難い。

表面的、カタチだけの「善/悪」というのに几帳面すぎると狭量だ、ということになるよね。
「狭量」なんてものじたい、教頭か校長先生くらい悪だからね。


だから、ここで話題にしているのはね。

ボンクラな定規で測った善悪とは、全然ちがう(センス)の問題なんだよ、タッコング。


それは、文学的センスの問題になるだろ、結局。

(こんな風に言うと「文学」という言葉を死語だと笑う流行に敏感な人もいるだろうけどね)


流行主義者というのは、一見、人一倍 理屈張っている感じなのに、実際は、論理的な説明を理解するのが苦手な人が多い(内容を勝手に飲み込むのが得意だからね。豚の串焼きを食べて、ああヤキトリね的な人が多い),そういう印象があるからね、だから

直感的にも分かるように書いておけば、こうなる。

味覚のマヨラーは、けっこう、善悪の感性センスのマヨラーでもあるんだ、ということだね。


それは、「文学」のセンスと繋がっているものだ。




だから、
そんな感じなので、ここで、ちょっとこの話題が揚がっている、それだけのことだよ。
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