2019 05/04 14:10
ハァモニィベル
>>695
叙事詩という共通項で3つとも一つにくくる事もできますが、
この三者は、
リアル、リアリティ の在り方がちがいますね。
わたしはここで、演劇をTVドラマや映画をも想定して考えています。
そうすると、もっとも物理的にリアルな表現手段を採るのが演劇で、
言ってみれば、リアルを使って観念を伝達するものです。
対して、詩と小説は、言語、コトバのみによって造形されるものですから
言ってみれば、観念を通じてリアルを伝達します。
わたしの言う「リアル」というのは、現実そのまま、のことではありません。
<私はかつて猫を飼っていた>は、過去の事実で、ホントウですが、
<今は飼っていない>わけです。でも、作者というのは、今猫と暮らしているという
創作(ウソ)で、猫との暮らし「のリアル」を描けるものです。ところが、実際いま猫を飼っているひとの誰もが、猫との暮らし「のリアル」を描けるとは限りません。
―→猫との暮らしはこういうものだ、という本質への洞察力、感受性の有無でそこは決まります。
言い換えれば、広くて深い理解力と想像力のタマモノです。
送り手と受け手の両方に、それが欠けていると、文化の状況というのは(最近のTVのように)悲惨を呈しますが、
そうなると、その状況そのものが気づかれない状況のまま症状を継続します。
さて、
小説は事件を通じて表現するので、リアルを使って観念を伝達するものに近い
でしょう。事件とは行為とその結果に重点のあるものです。
詩は、その逆方向に向かい、詩じたいが行為であって、その動機(直感)に重点
のあるもの、のように私には映ります。
ただ、いずれにしても、その三者に共通して言えることは、
単純に作品がイメージをリアルにするわけではないということでしょう。
すでにリアルなイメージを持った造り手によってはじめて読者のなかでリアルになるのだろうと思います。
その証拠に、造り手のもつリアルへの照準がズレているほど作品は退屈になります。
(以上、概略的な考察ですが)