2016 04/15 19:11
ハァモニィベル
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ケストナーは、大人は童心を忘れている、といい、
中島敦は、大概、こどものままじゃないか、といい
この辺りから考え始めようと思ったのですが、
ようするに、人間とは何か、
ということを、あるていど考えてきた者であれば、
「こども」とは、というのも、その変型なだけで、
それなりに対応できるわけです。
私が、わりと即興で詩がすぐ書けるのは、
普段から詩がじぶんの中に渦巻いているからです。
お題とか、設定とかがきっかけになって
それらが形になるだけなので、
実は、詩を書くのが早いのではなく、ずっとまえから
精神の内部に蓄積したものがすでにしっかりあるからです。
(その意味では時間が誰よりもかかっている、と言えるでしょう)
なので、
「こども」とか、「ナントカ」というテーマを得て
そこで戸惑ってしまったり、初めて考え始める人というのは、
「人間とは」、とか「人生とは」、「生活とは」などなどのテーマにも
考えがない人ということに逆になるんだろうと思います。
そういう人は、情報を《自分の中》に取り込むんじゃなくて、
詩情をパクってネタ切れを誤魔化す作品を書いたりしかできない、
そんな大人の事情に陥らないことを祈るばかりです。
そうでなければ、さくさくと、座談が少しづつでも進んだり弾んだりするものです。
と、親友たちに率直に述べたところで、
ケストナーと敦の議論から、
ま、【大人/こども】という二項で、分けられない部分が次に指摘されるべきでしょう。
《知的で繊細な大人とこども/そうでない大人とこども》
がいるだけなのかも知れないからです。
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以上の内容に嫌味はありません。
早く感じる、という反応に対する、遅く感じる側からの反応を率直に書いてみました。
心が挫けてしまった方は、やさしいカイトに励ましてもらって下さい。
それがこの公園のいいところです。