2016 04/01 09:17
ハァモニィベル
勉強会の開始直後は、皆関心がまちまちなことや、それこそテーマに関して「ぽややん」としていることもあって、
なかなか話の焦点が咬み合わないのがフツーなので、なるべく話題をランダムに沢山出していき、その中で、息が合ってきたり、関心が絞られていくといいなと思います。
課題作品の発表場所が特定されている方が、参加しやすいですね(カイトよろしく)。
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さて、私は歴史的に追ってみましょう。
童謡と絡んで、創作童話の話になりますが、
1958 年の「少年文学宣言」というのがありましたね。
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『泣いた赤鬼』の浜田広介は、自分の作品が短編ばかりなのは、編集者がそれしか注文しないからだ、と述べていたようですが、その頃の背景として、児童心理学での定説として「幼児は読物の持続力がないので短編でなくてはならない。せいぜい,その長さは原黐用紙3 枚から5 枚程度がふさわしい」という学説があったからだと言います。
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その定説に挑戦しみごと覆したのが、原稿用紙10枚の『ちびくろさんぽ』(岩波子どもの本) だったようです。いぬいとみこ氏はその後,,原稿用紙90枚の『ながいながいペンギンのはなし』(理論社) を出しています。
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絵本と児童文学の丁度、端境期にあたる、5歳から8歳位を対象にした作品を「幼年童話」という語でくくれるらしいのですが、『ながいながいペンギンのはなし』(1957)や『いやいやえん』(1962)等、60年代に高揚し、『大きい1年生と小さな2年生』(1970)等、70年代に安定したものの、その後80年代には混迷・沈滞し(理由は諸々なれど、ひとつには、「子どもが見えなくなってきた」ことがあるとか)。1980年代以降には、「発行点数が多いにもかかわらず危機的状況にあるのではないか」などとも言われたりしていたようです。現在どうなのか不明ですが、私が本屋で立ち読みする限りでは、外国のものの方が芸術性を感じます。
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ニュージーランドの児童文学者ドロシー・バトラーは、「5歳から8歳向けの本は――書くのがむずかしく、書評がむずかしく、売るのもむずかしい――文学の空白地帯といってもいいような状況ではないでしょうか」と言っているので、我々がここで、小学一年生をを対象に作品を書くのを難しいと感じるのは、必然であり当然なのかも知れません。
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ただ、その難しさが、「こどもが見えない」ことにあるとするなら、疑問でしょうね。
ケストナーは、「あなたの作品が世界中の子どもに愛されるのは何故か」と訊かれた時、「それは私が特別の才能をもっているからだ」と答えたそうです。ケストナーが語るその才能とは、自分の子ども時代のことをそのときそのままのように思い出せることだ、と述べています。現代の子ども達はかつてとは随分違う環境で生きてますが、心は共通でしょう。でなければ、外国作品中のこどもも日本人には「見えない」筈でしょうから。
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私が勉強会の冒頭で、雨情の「童心主義」から見直してみたらどうだろう、と提案したのは、その辺を考えてのことだったわけです。
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さて、長く書いてしまったけれど、皆さんは子どもじゃないから集中力は途切れないと信じてますが、最後に、その嘗ての定説とからめた、大切な事実を記して、わたしの言を締めましょう。
読み(語り)方の上手,下手という問題です。
かつてアメリカで、ストーリーテリングの大会というのが開催され、それで優勝した人は、なんと電話帳を読んで、聴衆(こどもたち)を45 分間も引きつけたのでした。
(おわり)。