2016 12/08 09:58
水菜
>>604
花形新次様
ご不快になられていないのなら良かった……。安心致しました。ご返信、誠に有難う御座います。この様な、話題を私と続けることは、花形新次様にあまり、益をもたらさない、と、判断して、私は、この今の一度きりの返信で、今の話題に関しては、締めさせて頂きますね。……一度しかありませんから、心を込めて、返信を失礼致します。
きっと、多くの方が勘違いをされていることだろうと、私などは、思いながら、書き込みますが、多くの場合、この様な、口頭だけで、他者へ生きる知識を授けるのは、どのような立派な方、お釈迦様であっても、私は、無理だと思っています。
人は、自ら研究したり、身に付けようと自ら見たり行動したり、観察しようとしたり、覚えよう、記憶しようと思えたものしか、自らの血肉となるような生きる知恵を身に付けられないものだと、私は、感じて、います。
花形新次様が、なさっている行為は、少しだけ行き過ぎておられます。たとえば、子供に、なんでもかんでも親が先回りをし、子供が自ら考えるチャンスを根こそぎ奪ってしまえば、子供は、自我を上手く形成出来なくなってしまいます。どんなに愚かでも、傍目から見て、どんなに遠回りでも、自らで気付くしか駄目な場面が、人には、あります。その学ぶ瞬間は、その方にとって、一生の宝と成り得るかもしれないのです。それが、人を育てられる方と人を育てられない方の違いです。(こんなことを言いながら、私は、お節介焼きで堪え性がなく、我慢がまだまだ足りなくて、反省することばかりです……)
花形新次様は、花形新次様であり、他の多くの自称詩人と仰られる方とは、違う人です。人はそれぞれ、異なった個性を持ち、違う価値観、違う喜びを日々見つめながら生活されています。花形新次様が、知識が足りないと思われても、相手方が、その知識を得たいと自ら求めなければ、それは、行き過ぎると、良くない結果しか生まなくなってしまいます。(具体的には、薦めようとしたものを相手方が嫌になってしまいます)私たちは、程よい距離を保ちながら、自らの幸せを探っていくのだと思います。人によって、そのスピードは、違うのだとも。
花形新次様が、キライだと思われるのに、強要したり致しません。ここは、自由な遊び場ではないですか。私は、そう考えます。今回は、長丁場になってしまい、私の勘違いも相まって、申し訳御座いませんでした。花形新次様とお話出来ましたこと、嬉しく有難く思います。今回は、お話に付き合って下さり、誠に有難う御座いました。花形新次様も、楽しい詩作が出来ますように、お願いごとをしながら……有難う御座いました。失礼致します。