HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![44]
2014 04/09 20:33
こひもともひこ

>>37 澤あづささんへ

比較対象か、個人的アイデアは書かないと、やり取りから得られるものは少ない(場合によってはない)ですからね。

今回、澤さんとやりとりをして、澤さんの手法が、ボルカさんの言われた「意味の柱を立てて構造を見渡す」というものであることの理解はできました。また、カミュやエリオットを持ってくることにより作品に近づくやり方は、>>31で澤さんが書かれたように、N.K.さんの作品にも見られる手法といえる。真似できるかどうかは別にして、どういう風に作られるのかは分かりました。

「意味の柱を立てて構造を見渡す」手法の場合、

 澤あづさ:
 >そういう読解は、しょっぱなにぶっ立てた前提が的確でなかった場合、100%話にならないというところに難しさがあります

ということの問題もあるのですが、私が一番もったいなく感じるのは、作者に答えが聞けるのになあ・・・というところですね。もちろん、作者の自作解題が正解というわけではないのですが、澤読解と作者解題を見比べて、そこからさらなるなにかが生まれる可能性はある。これは、ネット時代でなければできないことといえる。

これまでの時代は、作者は作品を書籍で発表し、それを読んだ側がどこかで批評するという形か、同人内においてだけ意見しあうことしかできなかった。これが、ネットで見ず知らずの他人とつながれる時代になったことにより、普通の生活上では出会えなかったであろう他人の意見を取り入れて作品展開をさせられるようになった。しかも、やり取りは作品発表後すぐにできる。けれど、作者解題があると澤読解は書けなく(書かなく)なるし、そもそも作者は自作解題しない理由ばかり考えている。

私は、ツイッター上でやっている連詩なんかは、かなり面白い試みだと感じています。これも、通常であれば出会えない人物とのやり取りから生まれる変化に面白さがある。ここにもったいなさがあるなと。


最後に、私のヒヒョー文への論評をしてくれてありがとうございました。
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