HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![25]
2014 04/04 18:58
澤あづさ

>>24

こひもともひこさんへ。※横槍も歓迎します。

 んんんんんーむ!

>詩の説明は「しない・したくない・できない」し、詩の量産もしませんと言う人をどう評価すべきなのかは、私にはわからない。

 まず説明を試みますが、わたしの知る限り紅月さんは、「詩の説明をしない」ような人ではありません。
 むしろ強い意志を持って議論する人です。ただ信条として、自作を解題しないだけです。

 量産に関しては、いまはしていないだけで、三年半まえには三日に一度現フォに投稿していたような時期もありました。
(その「しりかげる」というアカウントは消されちまったので、証拠を出すことはできないんですが……)
 もっともかれは「量より質」という具合で、安易な投稿を忌避するタイプですから、批評の場への投稿数は多くありません。
 たとえば文極の2月優良に入った『albus』(http://bungoku.jp/monthly/#a10)は、昨年4月の作品(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=271532 日付をご覧ください)です。10ヶ月も寝かされて、ようやく投稿に至るような作品もあるんです。

>ではなぜ澤批評文はおもしろいのに、対象作品はおもしろくないと意見するのかと問われれば、この作品の書き手が、読み手に伝わるように書こうとした文章を読んだことがない、ということにつきます。

 わたしの読解をおもしろいと評価していただけたのに、その読解への評価が「自作を解題しないという作者の信条」への評価に繋がらないのは、やはり悔しいですね。
 紅月さんにその信条とプライドがなかったら、おにゃのことわたしの愉快な錯乱合評など、生まれすらしなかったのです。
 このことへの賛意は持論として、ヒヒョーのなかで熱弁すべきだったかもしれません。

 かれが自作を解題しない理由はたぶん、根本的にはただひとつ。心ある読者に気づきの財産を与えるため、鑑賞の楽しみに水を差さないためです。ほかになんの理由を推測できるでしょうか。
 自作を解題しないということは、自己完結しないということ、作品の読解可能性を作者の独善でつぶさないということ、読者を信頼して作品を委ねるということです。
 読者がいかに心なく当てにならないか、わたしは自分の読解の当てにならなさから痛感しているので、その当てにならない読者をあえて信頼している作者を、心の底から尊敬します。

 以上の言説について、理解しがたい部分や得心しかねる部分がありましたら、ぜひご指摘ください。
 どう説明すれば伝わるのか、一生かけて考えます。

  +  +  +

>自分に可能な限りの技術を使い、他人に伝わるように文章を書いたことがあるのか?
>どこまで説明しても捻くれて読もうとする読み手に対して、それでも自分の書いた文章を正確に伝わるように書いたことがあるのか?

 この「文章」というのが具体的になにを指すのかよくわかりませんが、たとえば紅月さんが著作者としての意向(自作を解題しないという信条を含む詩論など)について「正確に伝わるように書いた(が諸般の事情により理解されなかった)こと」の実例なら、掃いて捨てるほどあります。
 そういったものを紹介すれば、こひもさんのかれへの見解が変わる可能性もあるのでしょうか?

 ちょっとした作家論的な情報があれば、この書き手への入り口が広がるのかもしれないのでしたら、情報をまとめてみたいという気持ちはないでもありません。
 わたしはテクスト至上主義者ですが、作品理解には作家論も欠かせないと思っています。特に紅月さんはキャラが派手ですから、言行をまとめるだけでもちょっとした読み物になるかもしれません。

 ただ、かれはとても若い書き手で、詩論をまとめたり作家論を書かれたりする段階にはないと思います(この点を田中宏輔さんと比較するのは無意味だと思います)し、ご本人が作家論的な先入見を疎んじていることを知っているので、安易には公開したくありません。
 それを書きさえすればこひもさんの見解に影響を与えられるという確信があれば話は別ですが、こひもさんの知りたい情報がかれの詩論でなく、あくまで「かれの自作解題」なのでしたら、そこでわたしが努力しても無駄だということになりますから、慎重を期したいと思います。ご意見を伺えたら幸いです。
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