【期間限定〜9月15日】23歳以上の人の『夏休み読書感想文』(原稿用紙3枚)[25]
2013 09/15 09:55
深水遊脚

非力さと几帳面さと 『恋情』勝目梓を読んで

 社長で資産家で妻がいて、年老いていながら若い愛人を囲う人物がこの小説の主人公です。その人物が、初めて恋した女の人を思い出しながら自分史を小説に書きます。その自分史の文章と、妻のことや愛人のことなど今の様子とが、交互に描かれる、全体はそういう構成になっています。お互いに年老いた主人公と妻とのセックス、性に貪欲で、挿入に不安のある主人公のちょっとした試みに悦んで応える若い愛人とのセックス、そして自伝のなかの、まだ少年だった主人公が憧れた、炭鉱でともに働く少し年上の女性との、夜の海に浮かんだ舟のうえでの、夢中で求めあうセックス。この小説は一応、官能小説に分類されるでしょう。でもセックスを描くために状況を作り込む書き方ではなく、年老いた男性主人公からみたセックスの記憶を、感情のきれいな部分、汚い部分すべて細部にわたり描き切る書き方をしています。自分史に登場する炭鉱での労働についての描写も、そこで働く人たちの描き方も、リアルで丁寧です。この部分が現在の主人公のどこか空疎で孤独な有り様と好対象です。
 年老いた男性のセックスに良いイメージをもつ人はあまりいないかもしれません。ましてお金持ちで愛人を囲っているとなると、反射的に怒り出す人もいることでしょう。でも、性的に衰えを感じていて、自嘲と劣等感が常に貼り付いている主人公は、傲慢な全能感とは無縁です。それゆえに自分の体調や感情の変化を十分に把握した上で、情事に臨みます。そして相手の反応、ちょっとした変化をよくみています。登り詰めるためには必要であり、また様々な経験から身に付いたであろう気配りと几帳面さはまた、情事に最も必要な要素でもあります。しかし嫉妬が生まれてしまうと、相手の事情や性格をきめ細かく知っていることは、楽天的な逃げ道を封じて、向き合いたくない現実に自らの心を縛りつけてしまいます。
 劇的な事件が何か起こるわけでもなく、ごく自然な成り行きで、妻とは離婚することになり、愛人には年相応の若い男がいたので別れることになります。
 男性としての衰え、それでも満たしたい性的欲求、でもセックスのパートナーは自分を一番に慕ってくれるわけではない。そんな幾重にも屈折した内面が細かく描写され、人によっては気持ち悪いと思わせるくらいです。甘美な思い出のなかのセックス、愛人との情事がやはり話の中心かもしれませんが、私にとっては、とっくに愛情の醒めた妻とのセックスの描写が興味深かったです。嫌悪感を隠しておらず、何も美化していないのですが、行為を再現できる程度にはきちんと書かれています。作品外部からのイメージと結びつけることなく、この作品で構築した世界で起こる人の感情や性的な情動をきちんと描く仕方は、私が何かを書くうえでも参考になりそうです。
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