生贄合評スレ[355]
2016 01/21 21:31
高橋良幸

ちゃんと詩を通して批評されてる。私も最初はまさに
>四行目 鳥がいるのですね。
>五連目 つまり 何かに触れているのですね。
という気持ちだったので6、7連目から頼りに進んで2−5連目はちょっとそこからの想像に任せて勝手に読んだんですけど、俺はこれは別れ話の詩なのかと思いました。まあそれは死でもどっちでもいいんですが、その終わりを残しておきたいんだと思ったなあ。それをわざわざ静物と呼ぶのは、絵画を想起させたいからで、とっておくのなら写真でもいいのだろうけど、言葉と同意と、舞台装置の中間部があるので、その残す作業に時間をかけたいのだなと。終わりまでに、それぐらいの猶予はあったのじゃ無いでしょうか。

舞台と演者というイメージは、私もなんか漠然とあって、るるりらさんの評を見てなるほどそうだなと思った。演者はもう一つのバージョンの方にいるのでしょうかね。他の詩を参照して批評するのはダメだみたいなことが、このスレだったかどのスレだっかわからないけど書いてありましたが、でももう一つのバージョンを読むと、このバージョンの描写と対応付けできるところが多いと思います。でもそれは演者と装置としての対応づけなんですね(と他者の批評を繰り返す)。

両方のバージョンを統一することはできないのかな?こういうときに作者が発言できたらいいのにな、とちょっと思う。

#(追記)終わりを残しておきたい、というよりは終わりが残っている様を描いているという感じかしら
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