よろず臨時話し合いのぼやきスレ。[279]
2009 06/01 08:31
石川和広

sage
>共訳可能な言葉がある、ということには僕は懐疑的です 但し、共訳可能に
>する言葉は創造はできましょう

そうですよね。もちろん共通の理解を目指すというかその試みが大事なので、あらかじめ共通の何かがはっきりあるわけではありませんよね。だからその懐疑もからめながら話するんですよね。
というかここの議論をみていたらですね、はっきりいってお互いの話に耳を貸さない、自分の立場を守ることだけ考えている。
自分もあまりえらそうにいえないですが、これでは共通の前提をかんがえることができません。
そしたらもう力や声の大きいほう、それを背景にした打ち合いになる。被害者もそのためにかりだされてしまう。そして場の全体にそれにたいする諦め、ニヒリズムがでてくるのも必定でしょう。

代表は英米でもそうだし、フランス語でも再表象くらいの意味ですか。つまり自分の立ち位置を考えることは表現の問題でもありますね。ぼくもついつい何かの代表のように自分をかんがえているときはある。でも、自分の声を相手に届くか疑いながらも話してみるくらいのことはできるかと。自分をばらけさせて「病人として」とかだけではなく、自分をトータルで示すのが大事ですね。隠された位置から話しすぎです。事実ではなく論者の実際の姿が見えない。自意識とか自己イメージが肥大している。これは今回陣営にかかわらず多くの方にも私自身についてもいえることかと思います。

イメージとか力にひきずられて実際に困ったことや、訴えたいことがそしてその人の姿が見えてきません。これは論者ほとんどがそのような印象をもちました。ユーさんや私が言うように実際会うのもひとつの手です。

ただ異質なものを認められない。女性=被害者だけでなく、そのまえにだれもがひとりの人間であることを知らない限り表現なんて覚束ないと思います。その自明さからはじめないと。発言の声の大きさや力を背景とするやりかたや、つねに何かをよそおうやり方ではおそらく信頼を失うだけです。

それだけ世の中全体に「無理が通れば道理が引っこむ」あり方がおおすぎるんでしょう。僕はそれによる絶望が、さらに力の論理をよびこんでいるように思います。「要はいいまかしたら、あるいは黙らせたら勝ちなんじゃない?」みたいな。それしても恨みしか残らないから僕はそれはいやです。例えば、ガールフレンドがいて、あるいは彼氏がいて、けんかしたとき相手の口を無理に「うるさい」とかいって封じたら、お互い苦しいし、絆を回復させるのが大変です。わかりやすくいうとそんな感じです。
まあ誰もが逃れられないんだけどねw僕もね。

でもそこにコミュニケーションの大事なテーマがあるのですよ、たぶん(?)

*すいません。めんどうなのと見えにくいので表字にしました。
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