ケータイ優先スレ2[745]
2011 02/01 04:42


色、について考えてみる。
うちの色弱の犬はたぶん、当たり前だけれど、、赤が、ぼくと違う淡い色に見えてる。。
や、色弱とゆうか。たとえばまあ色覚を担当している、目の網膜の視細胞の、すいたい細胞の、、ええと
仮に赤の波長の光に反応する細胞の数が先天的にちょこっと少ない人と、ぼくとでは、やはり、同じ波長の光(赤)が少し違った色に見えるだろう。
もちろん、ヒトは主に感光色素を持つ3種類のすいたい細胞で、3原色的な強弱のバランスの中で可視光線を色として処理しているわけだから、赤だけじゃなく、青や緑の光に反応する細胞の数や感度によっても、相対的に色具合は左右されるわけだけれど、あ、こまかいことはいいかも。
で、ぼくやうちの犬やそういう人の赤や緑や青の波長の光に反応する、すいたい細胞の種類だとか、個数だとか、感度だとかをまったく同じになるよーに操作したとしたら(技術的に可能かどーかはさておいといて、、)、
ひいてはうちの犬も、ぼくも、すいたい細胞の数がちょっとばかし少ない人においても視覚世界、色世界を可能たらしめている光の取り入れ口である?目?という感覚器の諸条件をまったく等しく同一に揃えることに成功したとしたら、きっとうちの犬なんかも赤とオレンジの違いがはっきりくっきりとわかるよーになるかもしれないし、
だからといってぼくとまったく同じに高度に複雑な色を見分けられるようチューンナップされたうちの犬の目に、ある特定の波長の赤い光が、ぼくに見えているのと?同じ赤?に見えているのかとゆえば必ずしも、そうだ、ともいい切れないところに色問題の本質があるのだけれど、、
いちおう、目の条件、及び脳に至る神経節細胞以降の諸条件までそれぞれまったく同一に揃えた場合、とりあえず皆?同じ波長の光が、同じ色に見える?と、そう仮定した場合、この仮定は、?どこかに一つの客観的な世界がある? みたいな方向にも行きかねない危うさ?を孕んでいるというか、示唆しているよーなきがする。
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