■批評祭参加作品■ WATARIDORI、または視点についてなお考える
佐々宝砂

私は、子どものころからTVの自然ドキュメンタリーが好きだった。民放なら「野生の王国」、NHKなら「自然のアルバム」、「生きもの地球紀行」、「地球!ふしぎ大自然」、たった30分しかなくて不満な現在放映中の「ダーウィンが来た!」に至るまで、ずっと見続けてきた。最近一番好きな番組は、NHKの「プラネットアース」だ。11集に分けて世界各国の自然を紹介するあの番組は、NHKのこれまでの自然ドキュメンタリーとは視点が違っていて、それが私には好ましかった。イギリスBBCとの共同製作だったから、いつものNHK節ではなかったのだと思う。

自然ドキュメンタリー、とりわけ動物ドキュメンタリーにおいて、視点の問題は重要だ。子どもにもわかるだろうが、シマウマを主人公にするのと、シマウマを喰うハイエナを主人公にするのとでは、全く同じ筋立てでも全く違う物語になる。私が子どものころ(1975〜1980くらい)の日本のドキュメンタリーは、シマウマを主人公に置くのが多かった。食べられる動物を主人公にして、食べる動物を悪者にして、ストーリーを仕立てるわけだ。やがて20世紀も終わり間近になってくると、そのような単純構造の物語は流行らなくなってきた。肉食動物だって必死に生きているのだから、草食動物の立場にだけ立つのは不公平という考えによるものだったかもしれない。

とはいえ、一般的な感覚の持ち主がハイエナに感情移入するのは、なかなか難しい。だが、NHKが「地球!ふしぎ大自然」で何度も繰り返した動物親子ものドキュメンタリーは、ハイエナに感情移入することを容易にした。ハイエナだって赤んぼのうちは可愛いのであり、そのうえ日本人は幼い動物にたいへん弱い。いわゆる恋の季節から、子どもが自立するまでの物語で、わかりやすくおもしろく感動的な動物ドキュメンタリーのできあがりだ。私が「いつものNHK節」と言ったのはこのような動物親子ものを指す。動物の一生を追う物語になるから、一種類の動物の生態を知るためには悪くない。しかし何度も見せられてだんだん食傷してきた。

一方で、私はディスカバリーチャンネルの動物ドキュメンタリーにも食傷していた。狩りの場面や流血の惨事が多すぎる、というより、そのような場面をもっとも重要視して放映しているように思われた。狩りや雄同士の争いのようなよくある出来事ならともかく、雄の親カバが子どものカバを殺すようなまれな出来事を大げさに放送して、最後に「こういうことは滅多にありません」とテロップを流すのはいかがなものか。自然界の危険を強調しすぎだ。

などと思っていた昨日(2007.1/3)、映画「WATARIDORI」(2001.仏)をBSHiで見た。いやあ、よかった。これまでいちばん好きなドキュメンタリー映画は「ディープ・ブルー」(2003.英)だったが、これからは「WATARIDORI」に変更する。それほど気に入った。何がいいって、ナレーションが最小限なのがいい。感動を無理に誘わないのがいい。迷鳥、人間に囚われた鳥、機械に巻き込まれる鳥、工業地帯で泥に脚をとられる鳥、それら群れからはぐれた鳥の運命は、ほぼ、想像できる。説明しなくていい。と思っていると、こちらの想像を裏切る映像が不意に、しかし淡々と続く。延々と鳥が飛んだり歩いたり泳いだりしているだけだといえばそれまでで、どこがいいのかわからない人もいるだろうが、私にはいい映画だ。

見終わって、ああよかったとため息をついて、ふと思った。「WATARIDORI」の視点はどこにあったのだろうか? とりたてて主人公のいない「ディープ・ブルー」の視点は、人間にある。人間の目でみる物語だからこそ、メタンガスの吹き出す深海の熱水地帯が「地獄」と形容される。そこに住むチューブワームにしてみれば、メタンと硫化水素こそが大地の恵みであり、空気の薄い地上こそが「地獄」だ。だが、「WATARIDORI」はどうなんだ?

「それは"必ず戻ってくる"という約束の物語」と映画の最初にナレーションが流れる。カメラは鳥よりやや高い目線で淡々と鳥を追い続ける。人間を映すときも態度が変わらない。あくまでも淡々として、しかし目線がやや高い。唯一低い目線になるときがあるが、それはコンバインが鳥の巣をなぎ払って進んでゆくシーンであり、目線が低くなくてはコンバインの恐ろしさが見る者に伝わらないから目線が低いのだろう。とにかくカメラは、やや高いどことなく冷たい視点で淡々と延々と鳥を映す。そして最後にまたナレーションが流れる、「それは"必ず戻ってくる"という約束の物語」。

渡り鳥は誰にそんな約束をしたのだろう。鳥たちは撮影スタッフに育てられたのだそうだが、撮影スタッフに約束したのじゃあるまい。私が思うに、約束の相手は、高いところからも低いところからもものを見られる、どことなく冷たい視点の持ち主だ。叙述法の研究家たちは、その視点を「神の視点」と呼ぶ。しかし、いったい「神の視点」とは本当はどんなものなのか。私にはまだわからない。わかりたいと思う。私にその視点はとても心地よかったのだ。


■注釈とかURLとか。

・プラネットアース
放送予定(NHK)
http://www.nhk.or.jp/special/onair/planet.html
DVD
http://www.amazon.co.jp/dp/B000IY0EIQ/sr=8-2/qid=1167922206/gendaishiforu-22/

・ディスカバリーチャンネル
http://japan.discovery.com/

・ディープ・ブルー
http://www.amazon.co.jp/dp/B000F7CKCY/sr=1-3/qid=1167922352/gendaishiforu-22/

・WATARIDORI
http://www.amazon.co.jp/dp/B000657NT0/sr=1-3/qid=1167922515/gendaishiforu-22/

・私はハイビジョンテレビを持っていない。
 持っているのは私の親だ。


2007.1.4.


散文(批評随筆小説等) ■批評祭参加作品■ WATARIDORI、または視点についてなお考える Copyright 佐々宝砂 2007-01-04 23:58:20
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