■批評祭参加作品■「約束」haru
たもつ


haruさん「約束」

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たった三行のショート・ポエムなのに、読んだ瞬間から心を捉えて離さない。
そもそもこれは詩なのか、という議論はあるのかもしれない。
映画やドラマや小説の台詞みたいだ。
けれど、この三行が台詞としてではなく、「詩としてある」、ということが
「詩」なのだと思う。
台詞はどこまで言っても台詞だ。その台詞が言葉として表出するまでには、
その経緯やシチュエーションが必ず存在する。
それは「必然性」であるわけだけれども、その「必然性」故に、「誰かの」
台詞として固定されてしまう。
詩とは心の葛藤だと思う。
その葛藤に至る経緯やシチュエーションは当然あるわけだけれど、それは物
語として「言葉」で説明すればよい。
詩は心の葛藤そのものだ。そこに理路整然とした理屈はない。
いったい誰が正確に「言葉」でその葛藤を表現できるというのか。
かろうじて、それを「悲しい」「切ない」「嬉しい」「楽しい」などの大雑
把な言葉で表現することで、他者とのコミュニケーションが可能になるくら
いだ。
作者にはこの三行を書く必然性があったのだろう。
それは、現実的な必然性かもしれないし、創作としての必然性かもしれない。
けれど、それらをまったく切り離し


もう少し
幸せなときに

偶然 会おうよ


と書く、その行為自体が、僕はひとつの詩であると感じる。
その行為こそが心の葛藤、もしくは葛藤の結果なのだと思う。
僕なりにこの三行にシチュエーションを与え、解釈し、「だから切ない」と
言うことは可能だが、それは実に味気ない野暮な行為だ。

僕は言いたい。
過去に会った人。これから会う人。
今いっしょに生活している人たちに。


もう少し
幸せなときに

偶然 会おうよ


と。




散文(批評随筆小説等) ■批評祭参加作品■「約束」haru Copyright たもつ 2007-01-04 16:48:19
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