四次酔論
ねなぎ

誰もいない車内の座席に持たれて
窓の外を眺めながら
ぼんやりと
僕は
もう帰る事は無いだろうと思った

外は暗くなりかけて
暮れて行く
田畑や家の屋根の向こうに
水平線が
ほんのりと赤く抵抗していた

川が見え初め
鉄橋に差し掛かり
目の前の視界が開けるように
反対側の窓から
河口が明るく揺れていた
車内に差す眩しさで
僕は顔をしかめた

河川敷のグランドや
並んでいる工場が見える
霞むような山の背景から
田畑が連なって
ぽつぽつとした家並みが
所々に点在している

濃くなった藍色に
僕の家は土手に影に隠れて
見えなかった

殆ど流れていない川原を見ながら
ゆっくりと窓から
顔を背けた
軋むような揺れと音に
体を預けるように
ゆっくりと
目を閉じた


頬に風が当たっている
風切音が聞こえる


揺れている
湯気の向こうに男の顔が
ゆっくりと
黄色い電灯が
暗くなる気がする
もう目蓋の裏には
見えている

どこまで
話ましたっけ
まあ
どこまででも良いんですが
確か
意識が連続していないと言う
所まで
話たと思います

ひたすらにだるく
男の言葉も
聞き取りにくい
視点が定まらず
ふとした瞬間に落ちている
酒を飲んでも
どうにも駄目で
手を着く場所に困って
膝の上に置いたが
頭が後ろに引かれていく

おや
大丈夫ですか
何かあったのでしょうか
でしたら
話を変えても
良いのですが
まあ
続けますと
時間は連続してないのですよ
ほら
この瞬間にも

吸えば
なんとかなると思ったが
逆に
味が塞がれるみたいに
細くなっていくように
思って
無理矢理
灰皿に押し付けた

時間が連続していないのと
意識が連続していないのは
同じ事なのですよ
例えば
朝に何を食べましたか
そうですか
何も食べていないと
言う事ですが
食べた方が良いですよ
朝食を食べないと持ちませんよ

コップいついた
雫を舐め取って
また
フィルターを咥える
どうにも頭がはっきりとしない

解りますよ
忙しいんでしょうね
でも
何で忙しいかなんて
半年ほどすれば
忘れてしまう物
なんですよ
それを
意識で繋ぎ止めているだけ
何ですよ
ですから
忘れた場所は
発散していて
思い出した時だけ収束
するんですよ
思い出とか
そんな物でしょう
印象的な事が
頭の中に閃いて
その前後の事は
何となくついて来る
後付なんですよ

とにかく
とても眠い
疲れている
それは自覚する
目も痛くて開けるのが
億劫だし
体を揺らすと
血液が脈打って
頭の後ろが痛くて仕方ない

いや
思い出せますけどね
過ぎた事なんて
確認出来ないでしょ
逆に
確認した時に
思い出すんですよ
それは意識が
過去を確定している
からなのですよ

残ったうでんや串
空いた皿が
台の上で震える気がする
それが
自分の肩が痛い為かは
解らない

そんな猫の事なんて
知らないと言うのは解ります
では
こう考えてみて下さい
例えば
私とあなたは
こうして
呑んでいるのですが
この焼酎
ああ
その焼酎でも良いですよ
ともかく
このコップの中が
見えないとしたら
どうします
呑んで見るしか無いでしょ
呑んだら酒だ
でも焼酎と言う事は解らない

調理場に近い席では
引っ切り無しに回された
黒い埃の塊が
重さを物ともせずに
音を立てている
その振動が体に伝わる気がする

その通りですよ
焼酎を頼んだのに日本酒が来たら
怒りますけどね
まあ
焼酎だと解るのは
焼酎を頼んだからって事しか
解らない
親父さんに聞けば
焼酎を瓶から注いでくれたんで
焼酎の瓶から注いだって事は
解りますよ
でも親父さんも
焼酎を造っている訳じゃ無いから
酒屋さんに聞く
酒屋さんは配達業者に聞く
配達業者は酒造に聞く
ずっと
その繰返しなんですよ

自分の呂律が
怪しくなっている
少し呑みすぎたかも
知れない
特に今日は
いらいらしていたので
愚痴りたかったのだが
男が話す言葉を
聞いているうちに
話す事を忘れて
呑んでしまった
それで忘れられたなら
それで良いのだろう

ああ
成分とかからなら
解りますよ
味も何となく解りますよ
でも
その瞬間に焼酎に
なったのかも知れないと
言う事ですよ

一瞬
目の前が霞むように
煙草の煙が動いた
廻って来ているのかも
知れない
目の前の男は
笑顔で語り続けている
話しかけたのは
どちらが先だったろう
それが
いつか良く思い出せなく
えらく昔からのような気がした

所詮
飲み屋での付き合いだ

そう
その通り
呑めば解る
でも
逆に呑まなきゃ解らないって
事なんですよ
箱の中身も
開けなきゃ解らないって事
なんですよ
チョコレートの箱って何ですか
その映画は見た事無いですが

男が何かを話したとしても
適当に
流している
多分
こちらが何かを
話したとしても
向こうも聞いてなど居ない
のだろう

だからね
映画と同じ事なんですよ
パラパラ漫画って
知ってますよね
あのパラパラ漫画と
同じですよ
映画も
三十枚で動画ですね
映画とかは二十五枚くらいですか
ビデオでコマ送りとか
あるじゃないですか
あれが解り易いですね

黄色い電灯の関係か
店内に散らばる
湯気の影響か
目の前の男が懐かしい
気がして戸惑う

知ってましたか
すみませんでした

そのコマ数をどのくらい
細かくしても
それはパラパラ漫画なんですよ
一枚は写真なんですよ
でも動いて見える
これは騙されているんですよ
誰にって
自分の意識にですよ
動いているように見える
ってだけですよ
実際は別々なんです
時間も同じように
連続してるよう

思えるってだけ何ですよ

向いの男の顔を見ると
そう言えば
どこまで話したのか
良く解らなくなっていた
気持ちよく
顔は蒸気して
痺れるように
舌先が危うい
口の端の雫を舐めると
肩から何かが
落ちていく気がした

いや
酔ってませんよ
さっきから
ずっと飲んでませんから
さっき
あなたも言ってたでしょ
飲んで見れば解んですよ
逆に
飲まなければ解らない
でも
それは誰が知っているんですか
私は飲んで無いので解らない
あなたしか知らない
そして
あなたが焼酎だと確定した
と言う事になる訳ですよ
あなたが焼酎に影響を及ぼして
焼酎にしたと言う事は
遡って行く事の繰り返し
でしかない
それは
どこまで遡っても
ずっと繰り返し何ですよ

店の奥の
調理場を眺めながら
この店に時計が無いのは
時間を忘れ欲しいからだと
店主が言っていたのは
いつだっただろうか
思い出せない

ああ
気持ち悪いですか
すみません
そんなに飲み過ぎるからですよ
解りました
私も飲みますよ

広くも無い店の中で
カウンターには
見知った顔が並んでいる
声を掛けた事は無いが
良く知っている気がする

だから
最初の話になるんですよ
私とあなたは
学生時代に会ったんじゃ
無くて
初めて会ったのに
学生時代からの友人

まあ
そういう事もあるって
事ですよ

今日のお通しは
ヒジキの煮物で
醤油の甘さが
とても嬉しい

いや出来ますよ
逆に考えれば
意識に騙されなかったら
出来ますよ
でも
意識が無いって
そんな事したら
生きていけないでしょ
生きている限り
意識があるんだから

焼酎に
梅干を入れて
箸で砕いていると
目の前の男が
飲みかけのコップ
揺らしながら
楽しそうに
煙草を燻らせている

それに
意識が無くても
その瞬間に遡って
過去が確定するんだから
同じ事ですよ
昨日の次は明日には
ならないのですよ

暖簾をくぐる瞬間に
緩やかな匂いと
喧騒に身を置く
店の奥の座敷に目をやると
綻ぶ様な顔が
赤くなって
湯気に揺れているのが解り
自分の顔も
何故か笑う気がした

いや
酔ってるのは
あなたですって
目が半開きじゃ無いですか
本当に大丈夫ですか
顔色が悪いですよ
もう
やめましょうよ
その辺で
でないと

家に
そのまま帰りたく無くなったのは
別に家庭の問題では無い
そして
仕事を家庭に持ち込まなく
なったのも仕事の内容では無い
途切る為の
中間地点が必要だったから
かも知れない


誰だっただろうか


風は軟らかく
芝生を揺らしていた
遠くで電車の音が聞こえて

ゆっくりと
日が注いでいて
目の裏が熱いほどに
くらくらとしていた

どこかで
音が鳴っている
泣きたくなるような
音は
放送の音だ

なら
多分
今は夕方なんだろう
目蓋が赤い
火照るように
体が痛い
どこに
居たのだろうか

空が見える
丁度
中間の色の空
それは
混じらない色

芝生が
ちくちくとして
僕は起き上がる
誰かが呼んでいる
気がしている
起き上がると
息が荒い
何故かは
良く解らない

気が付けば
土手で座っていた
眠っていたのだろうか
覚えていない
体に付いた
葉を払っていると
誰かが呼ぶ声がまたした

振り向くと
遠くの橋の方で
誰かが呼んでいる
でも夕焼けに照らされて
顔が見えない

影ぼうしが
手を振っている
帰らなければと思った
影がゆっくりと
消えて行くように
土手を下って行く

帰らなければ
きっと
帰れなくなってしまう


自由詩 四次酔論 Copyright ねなぎ 2006-12-29 15:19:31
notebook Home 戻る  過去 未来
この文書は以下の文書グループに登録されています。
四文字熟語