聖夜の奇跡
逢坂桜

  最低の男と切れたかった。
  わがままで自己中で、嘘と暴力と借金。
  涙が流れる内はまだましで、最後には乾ききった。
  ゴミだらけの部屋で、青アザだらけの体で、汚れた壁を見つめた。

  いま―
  
  狭いながらもあたたかい部屋で、
  コンビニだけど、クリスマスケーキがあって、
  ケータイで隠し撮りした写真を見ながら、つい微笑んでしまう。
  
  あの頃―

  最低まで堕ちたあいつとあたしは、
  もう、顔を合わせれば暴力で金を奪われて、
  地獄だと認めたくなくてもそれは地獄以外のなにものでもなくて、
  包丁や剃刀を、ギラついた眼で握っていた。

  振り返りたくない、思い出したくもない。
  けれど、たったひとつ、忘れられないことがある。

  クリスマスの頃、眼が覚めると、あいつがテレビをつけていた。
  若い女や男が、狂ったように「クリスマス」を連発していた。
  胸糞悪くて、あいつにも触れたくなくて、不貞寝を決め込んだ。
  だから、あいつは起きたと気づかなかったのだろう。
  低く、聴こえた。
  「・・・クリスマスか」
  それは、かすかな、本当に小さな声だった。
  とてもあたたかい声だった。
  とてもいとおしむ声だった。
  
  何人も地獄に突き落とすだけのあの男が。
  何度殺されたって天罰なだけのあの男が。
  あんな―

  その後、あたしは逃げた。
  つかまりはしなかったけど、逃げ続けた。
  風の噂で、事故で死んだことを聴いた。
  だが、現実でも、夢の中でも、逃げ続けた。
  
  あれはやはり、奇跡だったのだ。
  神様がたったひとつだけあたえた、あたしへの、奇跡。

  そう思えてならない夜が、またやってくる。

   
  


自由詩 聖夜の奇跡 Copyright 逢坂桜 2006-12-24 18:58:50
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