限りなく愛は自由を奪う
ネコ助


上の子が『パパァ』と絡み付く。
遊んで欲しいのだ。
下の子が泣き出した。
おしめかもしれない。

それは、全く時を構わず、
親の都合を構わず、
甘え、頼り、私を求める。

解っているのだ。
しかし、私の尻は重い。
妻は私を叱る。
それから小さな喧嘩も始まる。
結婚の甘い時なんて、
おおかたこのあたりで
終演となる。

私は自分の時間が欲しい。
自分を無性に生きる自由が
欲しいのだ。
自分を生きようとする時、
無心になっている時、
子供が私を求める。

その時、『邪魔』と脳裏に走る。
私は自分を犠牲者と思いながら、
しかたなく自分を殺している。
そして
『愚かな父親、父親失格』
そんな言葉を口ごもる。

恐ろしいニュースを聴く。
私はその父親よりも、
罪人である同類項の自分が
心の中に潜む現実に
恐ろしくなるのだ。

そんな時
子供が病気をした。
額には玉の汗を噴き、
あの賑やかな唇は
物言わぬ熱い唇となった。

それから
朝霧の街路を、
深夜の寂しい街灯の下を、
この子を抱きしめながら、
思わず唇を押し充てながら何度走ったろう。
胸の中の小さな子供の苦しみに、
哀れみと祈りの涙がこぼれた。

『愚かな父親、仕事がなんだ、自由がなんだ、
 自分がなに様だ、私の命を引き替えにしてもいい、
 この子を苦しみから救いたい。』
私は必死でそう思った。

親は、確かに犠牲者となる。
しかも
寡黙な犠牲者とならねばならない。
愛されるより、
愛することは難しい。

子供は限りなく愛を欲する。
親は限りなく愛を与えねばならない。
その質量と相乗して、
子供は幸せに
すくすくと育つ。
そして愛は、
貴い喜びへと育つ。

子供は元気になった。
今日もまた
私の元へと駆け寄り、
まだまだ不完全な言葉で
愛をねだりに来る。

ああ
この子らが、この子らが、
無性に可愛くて仕方がない。


自由詩 限りなく愛は自由を奪う Copyright ネコ助 2006-12-10 19:58:00
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