ある少女の独白
杉菜 晃


ママが死んだの
私が高校を卒業して間もなく
ママが死んだの
ママと二人だけで生きてきたのに
そのママがこの世からいなくなってしまったの

ママはパパのことを私に教えてくれなかった
私の記憶に残らないほど遠い昔に別れたんだと思う
ママが死んでしまったとき
パパのことが頭をかすめたけれど
私にはもっと逢いたい人がいたので
どこかにいるパパのことはそれほど思わなかった
思い出そうにも
何も覚えていないんだものね
私が会いたいとひたすら願っている人は
これから書く 書かなければいられなかった人よ
母が亡くなる少し前のことなの
高校の卒業を二箇月後にした
風のある寒い日だった
その日はことに寒かったの

私は病院に重病の母を見舞って
電車を二つ乗り継いで帰ってきたところだった
私の誕生日に当たっていたけれど
とても祝ってもらうどころではなかった
去年もそうだった
母は二年前から入院しているのだから
元気になったら デラックスのケーキでお祝いしようね
と母は二年前には言ってくれたけれど
今はもうそれどころではなかった
あと三箇月持つかどうかと医師に言われていたから
そんな状態だから 自分の誕生日など頭にはなかった
奇跡でも起って 母が快復してくれないかと
そのことばかり祈っていたの

でも電車を降り 改札を出てすぐ 
一人の青年が駅ビルの柱に背をもたせて坐り込み
ギターを掻き鳴らして歌っているのを見たとき
私は自分の誕生日を思い出していた
今日は私の十八歳の誕生日だったんだわ
寒い日で 夜も晩くなっていたから
青年の傍によって
歌を聴く者など一人もいなかった
それであればよけい
私は青年が自分のために
歌ってくれているような気がして 
通り過ぎることができなくなったの
足が縛り付けられたようになり 
青年の前に腰を屈めたの
彼は毛布を身体に巻いて目を瞑り 
ギターを横抱きにして声を張り上げている
歌の文句など 分からないけれど 
人の世の無常とか
それに伴う愛の挫折 
愛を失った自分はどうしていったらいいか 
そんな言葉の断片が 
寒々とした構内に反響していた
決して快いとは言えない しわがれた声で
彼の前には数枚のCDと
代金を入れる紙箱が置いてあった
人の世はつれない
それでも人の優しさが
人を慰める
自分が歌うのは
一人の人に力を与えるため
人には今通過しなければならない困難がある
それを乗り切ろう
おいらが歌うのは
その人に勇気を与えるため
どこからともなく連れ出されて
ここに来る人のために
おいらは歌う
おいらは路上のミュージシャン
そんな内容を青年は口から出てくるままに
ギターの音色に合わせて歌っていた
駅の構内とはいっても
前後は吹き抜けになっていて
私はあまりの寒さにぶるぶるっと
身震いしてしまった
それが彼に伝わったらしく
初めて目を開いて私を見たの 
傷ついてはいるけれど
深いところに優しさをたたえている目色だった
彼は私を認めると急に険しい顔になって
また目を瞑ってしまったの
誰か人が来ているとは気づいていたけど
まさか私みたいな若い女がひとりで聴いているとは
思わなかったのね
それからはもう自分の歌に酔うように歌いだしたの
私がそこにいる限り
彼を歌わせることになると思ったから
CDを一枚とって
貰ったばかりの見舞金のカバーをはがして
大きなお金が入ったまま
青年の前の紙箱に入れたの
どうしてもそうしないではいられなかった
私はCDを青年からの愛のプレゼントと思って
バッグにしまうと
そこを後にして家に急いだの
帰って CDを見ると
歌のタイトルと青年のハンドルネームがあるだけで
住所と名前がどこにも書いてないのよ
その時よ
私が取り返しのつかないことになったと思ったのは
それですぐアパートを飛び出そうとしたの
でも夜の十時を過ぎていて 駅に行っても
青年が歌っているとは考えられなかった

私は青年に会いたくて
病院からの帰りには彼を探したけど
どこにもいなくて
私はママと青年と 
大切な人を二人とも失ってしまうような
気持ちで過ごしたわ
ママははじめに書いたように亡くなったわ
酸素吸入器をあてがわれて苦しい息をしていて
とても青年のことなんか話せなかった
誕生日に歌をプレゼントしてもらったなんて言ったら
娘の誕生祝どころか 何もしてやれずに
息を引き取ろうとしているママを
責めるような気もしたしね

ママは死んでしまったわ
まだ若くて とても綺麗な手をしていたのに
私はそれから
欠かさず毎日駅構内に行って
青年を待っているの
彼の顔なんかよくは覚えていないのに
どこか雰囲気が似ている人を見かけると
どきんとして その人の後ろを追いかけたりして
ギターを抱えていなかったから
今の人は違うんだと納得したりして
そんなことを私は繰り返しているの
叔母さんの家に来なさいと言われているんだけど
ママが死んでしまってから
私はこの駅を離れられないの

いつか彼が現れたら
私はいつも持ち歩いているCDを突きつけて
言ってやるの
住所と名前をサインしなさい って
もし家がなくて
自分の車に寝泊りしながら
全国を巡っているんだったら
彼をアパートに泊めてあげるの
何日でも好きなだけいなさいって
この街に厭きて
ほかの街に行きたいって言ったら
私もついていくの
どんなところだって行くわ
世界の果てまでだって



自由詩 ある少女の独白 Copyright 杉菜 晃 2006-11-15 12:25:14
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