高い空を泳ぐように飛んでいく鮎の夢を見る
霜天

明るい夜も、暗い夜も、それぞれに色々な夜があったけれど。


遠く回り道をするように。言葉が言葉からそれからを選んでいくように、一瞬だったものを、ふと、足を止めて拾い上げてみれば。もう、「それから」が道になっている。単純なほどに、単純なほどに。首を傾げるくらい単純な一日の螺旋階段を上っていく過程でも、見慣れた君の名前がただのかたちにしか見えなくなる時がある。


街に着いた。そこで日記を終わりにすることにした。国道に沿っていくと大きな川があって、そこに架かる橋は赤く錆付いていた。君の家はその先で沈んでいるらしい。よく晴れた湖の名前、結局思い出せずにいると、ただの光にしか見えなくなった。象徴するかたち、君を。薄く玄関の扉を開けると、朝が侵攻してきて。僕らはいつも隠れるようにするしかなかった。そう、日記には書いてあった。


窓辺には椅子。椅子と白い犬。そんなふうに共通の記憶は始まる。家中の窓を全て開けて、新しい自分になった気分になる、そんな想像の中の背伸び。隣では、影が寄り添って眠っている。東から西へ向かう連絡船の上で人が一人消えたのは、もう十年以上も前のことだった。誰も気付かなかった呼吸の行き先。いつかあの海に沈んでみたい、そう言ったのは誰だったか、僕だったか。深い海のそこから見る空は、きっと生まれていくイメージに似ている。


一昨日あたりから、君の姿を見ない。三日ほど前から、少しずつ呼吸を薄くしているせいかもしれない。ただいま、と君は窓から飛び出して、長い長い道の真ん中で踊るように流れていく。自由、という。誰かがそれを繰り返し叫んでいて、ただ縛られているのを実感して。心の端に重力を結びつけると、上手い具合にバランスが取れる。あの橋を渡るときも、君がいなくても、もう平気かもしれない。昨日よりも笑った。少し多く、笑った。高い空を泳ぐように飛んでいく鮎の夢を見る。もう、呼吸も苦しくはない。



それがとても、当たり前のことのように。


自由詩 高い空を泳ぐように飛んでいく鮎の夢を見る Copyright 霜天 2006-11-02 16:48:05
notebook Home 戻る