目の前にあるものは
Utakata

識閾下の原罪の内部で成長を続けた粘性の原始海である
午後六時の迷路の中をひたすらに彷徨う球体の少女である
オリーヴの地平線の際で揺れている乾いた人のかたちである
ついさっき僕の目の前に現れた金属製幽霊の嘲笑の余韻である

真っ赤な記憶ひとつを身に纏って八月の窓辺に立ったあの娘が
微笑みかけることは最後までなかったし 群青色の表面を跳ね
る無数の細かな魚たちは かつて人間であったものの成れの果
てであった いつしか彼らは決して持つことのできなかった翼
を求め 三千年の間にわたる長い長い旅を始める もはや窓辺
には人の姿はおらず 八月の太陽の下で赤い記憶を身に纏って
いたあの娘は いまや十一月の白い闇の底で永遠に凍り付いて
しまった

光合成を続ける側頭葉の隙間にたゆたう穏やかな回転体である
生温い雨に濡れそぼっている忘れ去られた嘘の残り滓である
擦れ違いざまに会釈を交わした真夜中の土星の輪廻である
意識に浮上した無垢な記憶の腐敗しかけた泡の塊である


自由詩 目の前にあるものは Copyright Utakata 2006-10-31 06:49:33
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