はてしなの響き 【音編】
−波眠−

音の水位があがっていく。
沈黙への恐れから振り上げられているのだろうか。
一定の間隔をもって振り上げられるばちは、まわりの闇を一層深くする。
幾度も言葉を変えて繰り返される歌詞も。
僕の頭はただただ音に満たされながらも、空っぽのままだ。


どうしてだろう。
たった一つの音は水溜まりに落ちる水滴のように
一瞬しか響かせることができないのに、
重ねることによってまるで途絶えない水のような
厚みと安心感を抱かせることができる。


初めてここに来ると眠れませんでしたと言う声を聴いて
心底驚いたことを覚えている。
眠りを妨げたもの。泣き止まない虫の声、木々のざわめき。
言われてようやくそれらの音を思い出そうとしたけれど、
その音だけを切り離すことはできなくなっていた。
きっと止まない音はもはや音ではなくなっていたのかもしれない。
吸っては吐く音を煩わしいとは思わないように。


だからその音が枯れれば、すぐはっと顔を上げることもできる。
いや、できなければ次がないことも、どこかで知っている。


話が少し逸れたね。
だから僕のなかでは此処は音のない世界に等しい。
それだけに人間が創り出した音は過剰にキャッチしてしまう。
おそらく一目見ただけでは人が住んでいるのかいないのか
見分けがつかないような風景でも分かる。耳で分かるのだ。


一年で一度生と死が出会う場所。
この日だけはどんな遠くにいても帰ってくる。
人が心ゆくまで音を発揮することが許される日だから。


鮮やかな藍染の浴衣からのぞく皺だらけの手も、
臨時に設置された灯の手を借りて
いつになく艶を取り戻したかのように見える。素敵な錯覚。


歴史がうつることが生きざまなのだと
死んでいく人はみな教えてくれる。
だとしたら僕はどこか生ききれてないのではないかと
問いたくなるときがあった。こんな暮らしをしていると。
やがていなくなる人に尋ねることはできないと思うと、
自問することそのものもできないのかもしれないけれど。


どうか気をつけて行ってらっしゃい。


散文(批評随筆小説等) はてしなの響き 【音編】 Copyright −波眠− 2006-10-13 20:21:33
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