最終行まで
岡部淳太郎
――すべての夭折を急ぐ者とそれを諦めた者のために
?
たとえば雨が降って
翌日には綺麗にあがって
その間にブレーキを踏んでから止まるまでの
少しこわい距離がかせがれて
僕たちは眠っている間に見た
夢の記憶を忘れてしまう
悪いしらせは
いつも遅れてやってくる
たとえば
この秋が忍び寄る残暑の季節に
初夏の事実が 蝉の屍骸のように
ころり
(と)
転がり落ちてくる
僕たちはいつでも無情だった
他人の苦悩や歴史について
人はいつも
自分から自分への言葉を
待つことしか出来ない
言葉をかけてくれる他人など存在しないから
いつも自分で
(まったくの引用符なしで)
言葉をつくり出さなければならない
そうでなければ 生きていけないのだ
そうでなければ 死にきれないのだ
それから雨が降って
翌日には綺麗にあがって
僕たちは踏み切りの中で立ち止まる
線路の向こうから
声のない秋が
ゆっくりとやってきて
足下ではみどりの草が
少女の髪のように
揺らめいている
?
ある ひとつの方向に
思いが固まる
北を向けば
寒いことしか考えられず
この世に暖かい場所があることなど
忘れてしまう
風が
雨のように吹いてきて
思いは凝縮する
ひとつのぶざまな形へと 凝縮する
雨に濡れたモラトリアム
雨の中のコンドミニアム
またしても 雨
いつまでも 雨
涙雨 などというものを
いったい誰が考え出したのか
僕たちのためになど
世界は泣いてはくれないというのに
?
( )
一行目でさえも
満足に書き始められなかった僕たちは
いまだ遠い 靄の中にある最終行を
不眠の頭で思い描いては
自らがどんな一行目を書き記していたのかを
忘れてしまう
( )
一行目から 何行目になるのか
ここに来るまで
満足な言葉を書き記したことなどなく
不精な気持ちで思い悩んでは
自らが次にどんな一行を書くべきかを
忘れてしまう
( )
いまだ書かれることのない
最終行に向かって
僕たちは思いを整えるのだが
雨はいつも無常
僕たちが歩いてきた 多くの言葉を
無言で洗い流してしまう
( )
?
生が一瞬の抒情詩であるならば
人生は長い 長すぎる叙事詩
僕はまだこの詩を終らせたくない
最終行を 書き記したくない
それでもいまもなお 雨が
ずっとずっと高くから降りつもっている
乾くために濡れる その心音を聞き漏らして
僕たちはまたしても無情となる
人生が長い叙事詩であるならば
それを一瞬にして終らせてしまうことはただの
美しい抒情詩にしか過ぎないのか
いつだって
僕たちは濡れることが出来るだろう
生の水滴を
ぽたぽた、と、
路上に滴らせて
?
僕は
(僕たちは)
憶えている
思い出すことができる
どんな雨がこの地を覆ったのか
どんな雨がこの身を洗ったのか
憶えているから
思い出すことができるから
僕は
(僕たちは)
つぎの雨を待つことができる
つぎの雨を泣くことができる
無数の死者たちとひとりの子供が
遊びまわっている
その光景にも雨が降っているが
そんな古い絵でさえも
思い出すために
憶えておくことが
大事なのだ
その子供は
僕たちの子供
僕たちがそれぞれに歩んできた
詩のような行が生み出した 子供
僕は
(僕たちは)
ひとつずつ憶えては
思い出す
どんな雨が君を襲ったのか
どんな雨が君を消したのか
憶える
思い出す
忘れてしまっては
いけない
たとえ世界が無情にも
いままでと同じ顔で
ただ通り過ぎるだけだとしても
僕は
(僕たちは)
憶える
思い出す
忘れてしまっては
いけない
?
世界をゆるすことができないのならば
自分をゆるしてみればいい
根源的な あ
という叫びから生まれ落ちて
あお 色の雨に濡れる
あえて濡れてしまうことが
正義なのだと 思いつめて
自らはしだいに褪色してゆく
あ
を発音する
ただ発音するだけの
肉体となる
あおの憂鬱
あおの宿命
(を)
走査する
それでも 君は世界をゆるさないだろう
それでも 君は自分をゆるさないだろう
透明をのみこんで みても
それは身体の中で あお
に変ってしまうから
その色のままで
惑っていればよかったのだ
その色の中で
迷っていればよかったのだ
僕たちは世界をゆるさないが
自らをゆるしてきた
その術を 覚えてきたのだ
(だが)
あお
その色の中で雨が降る
この雨をとめることは
誰にもゆるされてはいない
?
陽はいつも
透明なままで人を照らし出すだけだから
僕たちには
何も見ることは出来ない
だから雨が必要なのだろう
すべてひとしく濡らしてしまう
雨が
その、
し、たたり、 を、
享けとめるために
ここに立つ
だからいなくなってはいけない
逃げ出してはいけない
雨の散弾に撃たれつづける快楽を
手放すもったいなさと
ともに
ひとり乾くことは
いけない
僕たちには雨が必要なのだから
腐乱しながらも
生きぬいて
書きついで
いく しかない
夢に見た
あるいは見ることのなかった
最終行まで
あとどのくらいか
雨に必要とされて
雨を必要とし、ながら、
自らの最初の声を
遠く 予感のように思い出す
長い旅路の果てに
僕たちは笑う
(または泣く)
(註)この詩篇には、ある詩作品からの意図的な引用がいくつか含まれています。書くべき詩ではなかったのかもしれませんが、どうしても書かざるをえないような気分でした。忘れるのではなく、憶えておくために書かれた詩です。それほどたいした出来であるとは言えませんが。
(二〇〇六年九月九日〜二十日)