夢は枯れ野に(1)
ならぢゅん(矮猫亭)

旅について考えてみたい。

芭蕉の力を借りて。つまりは『おくのほそ道』を読み解く。もとよ
り旅らしい旅などしたことのない私に何が解るのか。自ら発した問
いの洪水に溺れてしまうのが関の山か。

だが溺れてみなければ海のことは解らないものだ。

     ○     ○

   月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

時は過ぎゆくもの。去ってゆくもの。取り残される者の痛みは誰も
が知っているはずのことだが、皆、知らぬ振りを決め込み、平然を
装って暮らしている。今がいつまでも続くかのように思いなして。

しかし。時のように。過ぎゆくこと、去ってゆくことを生きた者も
いる。

芭蕉もそうした旅人の一人であった。

幼くして父を失った芭蕉は親戚の家で育てられた。少年時代、その
文才を認められ、後継ぎ息子の俳諧の相手として土地の有力者の家
に出仕。だが芭蕉は23歳にして、その主君を失い、栄達の道を閉ざ
された。このような生い立ちからすると、芭蕉は、取り残されるこ
との悲しみが身にしみていたはずだ。それなのに、なぜ、過ぎゆく
者の側に、去ってゆく者の側に芭蕉は立ったのだろう。

別の言い方をしてみよう。流転ということ、無常ということを強く
思い知らされた者が、それゆえにこそ日常を栖とせず、旅立ってゆ
くことの不思議さ。

   そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて
   取もの手につかず

無常ということと旅に棲むということとの間に何があるのか。芭蕉
にしたところで何らかの確信を持って漂泊を続けたわけではないの
ではないか。何かに憑かれたように、未だ見ぬ風景に心を奪われ、
旅立たずにはいられない。

旅という福音。
あるいは呪縛。

   草の戸も住替る代ぞひなの家

『笈の小文』の旅から僅か半年。まだ住み慣れ始めたばかりの草庵
を芭蕉は去った。譲り受けたのは雛人形を商う者だったという。話
が決まると間もなく人形が運び込まれ、芭蕉庵は倉庫となった。

薄暗く狭い部屋に隙間なく並べられた人形たち。異様な風景だ。早
く立ち去れ。二度と戻ってくるな。ここはもうお前の居場所ではな
い。芭蕉は無言の圧力のようなものを感じていたのではないか。

旅への畏れ、躊躇。
そして残される者への想い。

芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発するまでには更に時を要した。
病気のためとも、天候のためとも言われる。老いの目立つ芭蕉の身
を案じた門人たちは、せめて北国に遅い春の訪れるまではと旅立ち
を引き止めたであろう。だが。

それを振り払ってでも旅立つというほどには芭蕉の決意も熟してい
なかったのではないか。そして、いよいよ覚悟の固まったのが、あ
の有名な瞬間であったとしたら。

   古池や蛙とびこむ水の音

無常ということ。
ささやかな命の、その
はかなさを告げるような水音。
余韻をにじませた静けさ。

門人杉風の別荘に仮寓を求めてから1ヶ月。ようやく芭蕉に旅立ち
の時が訪れた。元禄2年(1689)、芭蕉45歳の初夏のことである。

   出典:「古池や」の句は『春の日』より。注釈本『奥細道菅
   菰抄』に杉風の別墅(別荘)を指して「祖翁蛙飛込の句を製
   し給ふ地と云」とある。他は全て『おくのほそ道』から。

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散文(批評随筆小説等) 夢は枯れ野に(1) Copyright ならぢゅん(矮猫亭) 2003-08-01 12:17:57
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