ヒューム「ベルグソンの芸術論」(1)
藤原 実

現代詩はT.E.ヒューム(1883-1917)から始まった、とよく言われます。
ヒュームは二十世紀最初の詩の前衛運動である「イマジズム」の理論面での中心でした。

彼は詩におけるイメージの大切さを熱を込めて主張しました ―― ヒュームとともにイマジズムをおしすすめたエズラ・パウンド(1885-1972)は「だらだらとながい作品を書くよりも、生涯にいちどひとつのイメージを表現する方がいい」とさえ言っています ―― が、二十世紀の詩の大きな流れのひとつがイメージの革新の歴史となったために、その先駆者としての名声がヒュームのものとなっているのです。

ヒュームはフランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)に師事した哲学青年でした。ベルクソンは当時の青年たちに大きな影響を与えたひとです。ヒュームのイメージの詩学にはベルクソンのイメージ観が反映しています。


詩の魅力はどこからくるのだろうか。詩人とは彼の心のなかで感情をイメージへ発展させ、イメージそのものをリズムに適した言葉へと生育させて、感情を読み取れるようにするひとのことだ。眼の前をこれらのイメージが通り過ぎるのを見て、私たちの方は、それらのイメージがその言わば情動的等価物であったような感情を体験することになろう。
            (ベルクソン『時間と自由』[訳]中村文郎:岩波文庫)


けれどもベルクソンは私たちの通常の経験世界は、心のなかの感情とはひどくちぐはぐな「観念を動かすだけにとどまる」「不変のイメージ」によって動かされているのだと言います。


私たちの日々の行動をまさに導いているのは、絶えず動いている感情そのものよりも、それらの感情が付着する不変のイメージだということである。朝、いつも起きることになっている時刻に時が打たれると、私はその印象を、プラトンの表現を借りて言えば、〈心の全体と一緒に〉、受け取るかもしれない[『国家』第七巻]。その印象が私の心を占めている諸印象の混然たる塊りの中に溶け入るままにしておくこともあるだろう。おそらくこの場合には、その印象が私に行動することを決心させるようなことはないであろう。しかし、たいていの場合は、その印象は、池の水のなかに落ちる石のように私の意識全体を揺り動かすのではなく、その代わりにその意識の表面で言わば凝固した観念、つまりこれから起きていつもの仕事にとりかかろうという観念を動かすだけにとどまる。
            (同)


ひとは日常生活では、ピン止めされたようなイメージ、固定観念にしたがって行動します。なぜならそのほうが効率がいいからです。
たとえばコップを見るたびに次のような意識がわきあがってきたら、永遠に水を飲むことができなくなってしまいます。


それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。それは或る一定量の液体を拡散させることなく地球の引力圏内に保持し得る。その内部に空気のみが充満している時、我々はそれを空と呼ぶのだが、その場合でもその輪廓は光によって明瞭に示され、その質量の実存は計器によるまでもなく、冷静な一瞥によって確認し得る。指ではじく時それは振動しひとつの音源を成す。時に合図として用いられ、希に音楽の一単位としても用いられるけれど、その響きは用を超えた一種かたくなな自己充足感を有していて、耳を脅かす。それは食卓の上に置かれる。また、人の手につかまれる。しばしば人の手からすべり落ちる
            (谷川俊太郎「コップへの不可能な接近」) 


私たちは通常「私たちの個人的な意識の微妙で捉えがたい印象を押し潰すか、あるいは少なくとも覆い隠して」しまっており、「私たちはもはや、私たちがそのイメージを凝固させた等質的空間のなかでしか、またそれらにありきたりの色合いを貸し与える言葉を通してしか、それらの状態を捉えなくなる」とベルクソンは言います。そして、やがて私たちには「存在が区別ある諸瞬間をもち」「諸状態が相互に切り離され」ている固定された自我が形作られることになります。それは「難なく言葉で表現されるような自我」、ベルクソンが「第二の自我」と呼んだものです。

私たちが通常「表現」と思っているものなどは、ベルクソンに言わせれば「自分では感情を分析したつもりでも、実は感情の代わりに、言葉に翻訳できる無生気な諸状態を並置しただけ」にすぎません。そして詩人や小説家に求められるのは、


言語がそのようにして降格させた私たちの感情や観念を公衆の領域から引き出し、多くのディテールを併置しながら、それらに元の生き生きとした個性を取り戻そうとする能力
            (『時間と自由』)

 
だと言います。


もし実在(リアリティ)が感性や意識と直接に接触し得るものとしたら、芸術は無用であろう、いな、むしろ、われわれすべてが芸術家となるであろう。芸術家たちの見るこれらのものは、すべて、現にあるものである。だのに、われわれにはそれが見えない――というのは、だが、なぜだろう。

何人も熟知している事実だが、常人は事物をそのあるがままには見ないで、ただ或る「固定した類型」を見るにすぎない。まず第一に、事実として、現にあるのは単に色彩の連続した濃淡の移り行きほかならないことを、百も承知していながら、われわれはそこに、明確な輪郭をそなえた別別の事物を見る。

われわれの多くは、ものをそのあるがままに見ることなく、ただ、言語として具象化せられている有り合わせの諸類型を、見るのみである。
            (T.E.ヒューム「ベルグソンの芸術論」『ヒューマニズムと芸術の哲学』[訳]長谷川鑛平:法政大学出版局)


ヒュームによれば芸術家とは、ものを「ただ、言語として具象化せられている有り合わせの諸類型」としか見られないわれわれと違って、「ものをその現にあるがままに見ることのできる人」のことです。
そういう芸術家の視線、ベルクソンの言う「直接的な視覚、単語のヴェールを突きとおす視覚」(「思想と動くもの」[訳]河野与一:岩波文庫)を持つために、ヒュームが強調するのが「新鮮な比喩」「新鮮なイメージ」ということです。


ことばを馬鹿正直に用いたのでは、いつも、ものの独自性が逸し去られてしまう。言語は、公共的な器官なので、その情緒のうちで、ただ、われわれすべてに共通な部分だけを、伝達するにすぎない。
……どうしても、新しい比喩や新しい形容語句に案出しなければならない。
            (同)

 
比喩とは異質の要素、通常では遠く離れた関係のものの間に類似を見て、両者を結びつけることです。しかし、たんに比喩を詩の技巧として重要視するというのであれば、それははるかむかしのアリストテレス(384-322 B.C.)以来、言われ続けていたことです。


もっとも重要なのは、比喩をつくる才能をもつことである。これだけは、他人から学ぶことができないものであり、生来の能力を示すしるしにほかならない。なぜなら、すぐれた比喩をつくることは、類似を見てとることであるから。
            (アリストテレース『詩学』[訳]松本 仁助、岡 道男:岩波文庫)


ヒュームとともに現代詩は始まった、と言われるのは彼のイメージの詩学が、それまでの詩学における比喩的イメージとは一線を画する、二十世紀的なイメージの先がけでもあったからだと思います。


では、二十世紀とは詩にとってどういう時代だったのでしょうか?

塚原史は「二十世紀的なものとは何か?」という自身の問いかけに、ふたつの「切断」のコンセプトを提示しています。ひとつは「過去との切断」、もうひとつは「意味との切断」です。
そして、「記号表現=シニフィアンを記号内容=シニフィエに結びつける絆は恣意的である」というソシュール(1857-1913)の宣言を「意味との切断」の象徴的出来事と考えます。


こうして、語のシニフィアンとシニフィエとの結びつきがいかなる内的法則性にももとづいてはいないと言い切ったとき、ソシュールは言語表現がその意味作用から独立して存在し得ることの可能性をさえ暗示していたのだった。
…なぜなら、この切断によって、言語記号が意味作用に拘束された不自由な記号であることをやめ、シニフィアンがシニィフィエから解放されて浮遊しはじめる可能性がひらかれたからである

        (塚原史『言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の20世紀』:講談社現代新書)


また、塚原は、18世紀の王権崩壊は王の権力に根拠を与えていた「神」という超越性の凋落も同時に招いたが、権力そのものの超越性はかたちを変えて「理性」となって生き残ったのだ、といいます。


かつての「神」に代わって、今度は「理性」が近代的権力の超越性を根拠づけるのである。
…王権神授説における国王の場合のように特定の人格中に形象化されることなく、 「自由で平等な市民」の精神の内面にとりこまれる。そして、理性が「個人」において内在化された結果、十九世紀ヨーロッパ社会をつらぬくコンセプトとして「理性的主体」という概念が成立するのである
        (同)


そしてこの「理性的主体」が詩的言語の領域において「私」の絶対化としてあらわれたのが、十九世紀のロマン主義だった、というわけです。


二十世紀初頭、「<私>を破壊して、部品交換可能な機械人間で置き換えるのだ」(「未来派文学の技術的宣言」)と宣言したのは、未来派のマリネッティ(1876-1944)です。


自動車や飛行機の大きなスピードは、遠いさまざまな地点を速やかに抱擁し比較対照すること、すなわち類比の仕事を機械的にすることを可能にする。たくさん旅する者は、機械的に才知を獲得し、離れた物を体系的に見、それらをたがいに比較することによってそれらに接近し、その深い魅力を発見する。大きなスピードは芸術家の類比的直観の人為的再生産である。脈絡なき想像力の遍在=スピード。創造的天才=スピード。

            (F. T. マリネッティ:「新しいスピードの宗教・道徳」[訳]佐藤三夫http://po-m.com/forum/sato/index.htm


彼ら二十世紀のアヴァンギャルドたち――未来派、ダダ、シュルレアリスム――は、全速力で「意味」と「私」からの逃走を試みることになります。
そして、このすべてを絶対化された「私」という一点に集中しようとするロマン主義的イメージに対する異議申し立てのさきがけとなったのがヒュームのイメージ論でした。


[われわれの]武器は、詩においては、構想力(ファンシイ)である」

「構想力(ファンシイ)の方が想像力(イマジネーション)よりも優っている

           (ヒューム『ロマン主義と古典主義』訳]長谷川鑛平:法政大学出版局)


というヒュームの発言はロマン派を代表する批評家であり詩人であるコウルリッジ(1772-1834)の高名な「想像力説」を念頭においたものです。
コウルリッジは「想像力説」によって、「相反する要素の結合」ということを詩作のキーポイントとして明確に主張したという点では現代にも通じる先駆的な仕事をしました。しかし、その彼もロマン派的な概念によって詩を定義づけようとする部分ではヒュームをはじめとする二十世紀の詩人たちから反発をうけることになります。


コウルリッジは詩人のイメージ形成能力を「想像力(イマジネーション)」と「空想力(ファンシー)」のふたつに区別して、「想像力」を相反する対象を再構成し、溶け合わせ、理想化、統一化する精神的で有機体的な働きとして重要視したのに対して、「空想力」を、ただ出来合いの型をでたらめに寄せ集めただけの奇想的で機械的な働きにすぎないもの、として貶めたのでした。主体が客体に融合し、自己が対象に感情移入する、「私」の絶対化を志向したロマン主義的精神の典型がここにあります。


コウルリッジによれば、日の出の情景を、茹でられたエビの色が黒から赤に変わるさまで喩えたバトラーの『ヒューディブラス』の詩句などは、ただ一部の類似点を頼りに寄せ集めた材料が並べられただけで、「日の出」と「エビ」というふたつの異物はひとつの圧縮されたイメージとして溶けあうことがない、「空想(ファンシー)」にすぎない。それに対して、「多を一へと還元させる力」を「想像力(イマジネーション)」は持つのだ、といいます。


ミルトンの『失楽園』(Paradise Lost)の

  ……far off their coming shone----
  遠く彼方に、彼等は輝いて到来した。

という詩行は、全体を一つの映像にしているという。ここで想像力は諸々のイメジを統一して全体的映像を与えてくれる。すなわち、多様で雑多なイメジを一つにして見せる力が想像力の重要な機能だからである。
コウルリッジはここでミルトンの用いた技法の一つとして、イメジや概念を遠くへもっていって統一を与えるということを挙げている。
        (高山信雄著『コウルリッジ研究』:こびあん書房)


ここでミルトンが用いた技法の効果によって読者は「全体的な場面を一つのイメジとして、俯瞰的に捉えることができる」というわけです。イメージの遠近法としての「想像力(イマジネーション)」、とでも言えばいいのでしょうか。


コウルリッジはまた、あらゆる哲学体系は一つの法則性をもち、あらゆる対象が一致する一つの遠近法的な中心があり、その一点以外のすべての観点からみると、混乱しゆがんでいるようにみえるに違いないとして、各流派の見解を評している。この遠近法的な中心点とは、彼の美学論の中心でもある想像力という「形成し創造する能力」に集約される
        (同)


しかし、このような「一つの遠近法的な中心」を設定して世界を見ようとする枠組みを二十世紀という時代は粉砕してしまいます。


ジョン・バージャーは1839年の写真の発明以後、それまでの遠近法的なイメージによって組み立てられていた知覚の枠がはずれてしまったことを指摘しています。

ルネッサンス以来、西洋特有の遠近法は、見る者の眼こそが世界でただひとつの中心であるとして、すべてを配置し、現実のイメージを組みたててきました。その固定された視点は「まるで灯台からの光線のよう」に世界をながめてきたのです。しかし新たに登場したカメラの眼は遠ざかったり近づいたり、自由に移動しながら一瞬一瞬のものの外観を写していきます。そうなれば遠近法的な知覚の枠組みである「イメージの無時間性という考え」は打ち砕かれ、「すべてのものが人間の眼の一点に集中していると想像するのはもう不可能」になってしまったとパージャーはいうのです。


しかし、カメラ、特に映画のカメラは中心など存在しないことを宣言したのである。印象派にとって目に見えるものは、もはや人間に見られるためにはあらわれない。それどころか目に見えるものは絶えまのない変化のなかで流動するようになった。また立体派にとっては、目に見えるものは、一つの眼が向きあっているものではなく、描写される対象のまわりに存在する面や点を集めた可視的視野の全体性であった
        (ジョン・バージャー『イメージ Ways of Seeing−視覚とメディア』[訳]伊藤俊治:PARCO出版)


ベラ・バラージュ(1884-1949)は「映画芸術の誕生とともに、たんに新しい芸術作品が生まれたばかりではない。新しい芸術を受けとり理解する新しい人間の能力もまた発達したのである」と言い、本来は断片的なイメージのつなぎ合わせにすぎない映画をバラバラな画面ではなく、同時に同じ場所でものごとが起こっているように感じられるためには、観客が新しい「観念を連合する方法を、あの意識と空想を統合する方法を学んで、しっかり身につけ」なければならなかったのだ、と言います。


彼女は教育を受けたインテリだったが、偶然の事情から、活動写真をまだ一度も見たことがなかった。
…そこでは、大衆的な喜劇を上映していたのだが、シベリアの少女は蒼白になり、ぶるぶる震えながら家に帰って来た。
「映画は面白かったかい?」と、誰かがたずねた。彼女はしばらくの間、答えることもできないで、突っ立っていた。自分の見た光景にひどく圧倒されていたのだ。
「何てひどいんでしょう」とついに彼女は云った。「所もあろうにこのモスクワで、あんなひどいものを見せることが許されているなんて」
「へえ、いったい、何を見たのかね?」
「人間の体がバラバラにされ、頭や足や手がみんな離ればなれになっていたわ」
 われわれは、グリフィスがハリウッドの映画館ではじめて画面いっぱいの大写しを見せ、巨大な《切りおとされた首》が観客に向かって笑いかけたとき、観客のあいだにどんな大騒ぎが起ったかを知っている。
…見落としてならぬのは、新しい表象を作り出す能力、ひとつの高度な文化が、ほんの短時日のうちに発達したことである。僅かな年月のあいだに、映像言語を理解し、映像から推論し、映像の遠近法や映像の暗喩や映像の象徴を読みとるすべを、いかによくわれわれが学んだかということを、今日のわれわれはまったく忘れている。僅か二十年のうちに、ひとつの偉大な視覚文化が成立したのである。
        (ベラ・バラージュ『映画の理論』[訳]佐々木基一:學藝書林)



瀬戸賢一は『メタファー思考』(講談社現代新書)の中で、さまざまな例を引きながら、われわれの五感−−−視・聴・嗅・味・触−−−が世界に張り巡らされた鋭敏なアンテナであり、人間は世界を五感によるさまざまな「見立て」(メタファー)によって言語化することで意味づけ、理解するものであることを明らかにします。
ちなみにこの「明らかにする」というのも「明るい性格」「暗い過去」「明暗を分ける」などとともに、視覚によるメタファーの一例です。そして五感によるメタファーのなかでももっと豊かな広がりを持ち、他の感覚を圧倒する力を持つのが、この視覚によるメタファーです。


「視覚が大切なのは、私たちの思考の道具としてのことばのなかに、「見る」を中心とした視覚表現が驚くほど広く深く浸透しているためである。「見る」は、ただちに「知る」の意味領域に接する。しかも、きわめて密に。
        (瀬戸賢一『メタファー思考』:講談社現代新書)


「見者であらねばならぬ、自分を見者たらしめねばならぬ」と強烈に願ったランボー(1854-1891)を引き合いに出すまでもなく、視覚の革命は認識の革命そのものでした。


[高橋] ロマン主義からサンボリズムへの問題というのは認識論の問題でもあり、もっと単純化していうと、ものを見る「光学」(オプティックス)の問題でもあるわけです。ロマン派の場合は、ものを見るというのは、前に話題になったように、ワーズワース的に、ものと主体が一体化するという形、あるいはブレイク、コウルリッジのように、ものを主体に取り込んじゃうという形はあるにしても、とにかくものをその本質において見る、そしてそれに観入する(ペネトレイト)という形をとって。これがアーノルドになると、「ものをありのままに見る」(to see things as they are)というモットーになる。アーノルドの意味は、ロマン主義の病弊への解毒矯正剤としての古典主義あるいは客観主義にあったわけで、ものを秩序と均斉において認識するといいかえてもいいでしょう。
 さらにペイターになると<to see a thing as it seems>というか、ものがこちらの印象に映るままに見るというふうに、主客の関係が逆転していくプロセスがあったと思うんです。そしてワイルドに至って、ペイター的な方向が完全に明言化されて、「ものをないように見る」<to see a thing as it is not>というか、ものをその「不在」「非在」の相において見るという逆説にゆきついて、ちょうど180度回ったことになります。
[上島] 印象主義というのは、ものを見るときに、言語の論理によらないで見るわけですね。つまり、文法をはずしてものを見る。目にうつるままというのは、うつったときに、それを論理構造として、あるいは主語述語という関係で見ないということなんだろうと思います。
        (『ロマン主義から象徴主義へ[シンポジウム]英米文学4』:学生社)



ロラン・バルトはフローベル(1821-1880)以降、それまでの古典主義的な言語が変質し、現代の詩における〈語〉とは、「無限の自由によって輝き、不確かで可能的な多数の関連に向かって光を放射する」ものになったとして次のように述べています。


「古典主義的な言語においては、関連こそが語を導き、それから、ただちに、つねに先の方へと投げかけられる意味に向かって語を運ぶのであるが、現代の詩においては、関連は語の拡張にすぎないのであって、〈語〉こそが《棲家》なのであり、聞かれはするが非在である諸機能の韻律法のなかに、始原として、語が植え込まれているのだ。

…それは、無限の自由によって輝き、不確かで可能的な多数の関連に向かって光を放射する態勢を整える。固定的な諸関連が廃止されて、語は、もはや垂直的な投企しか持たず、意味や反射的反応や残留現象のなかに潜り込む塊のようなもの、柱のようなものになっているわけである。つまり、語は立った標章なのだ」

「…現代の詩は、それとは反対に、言語の関連を破壊し、述語を語の逗留地へと引き戻す。このことは、〈自然〉の認識における転倒を内包している。新しい詩的な言語の非連続性は、個々の塊としてしか姿を現さない砕断された〈自然〉を設立するのである。ちょうど機能の撤退が世界の諸結合に闇をもたらす瞬間に、述語のなかにおいて、客体が、高められた地位を手に入れる。つまり、現代の詩は、客体的な詩なのだ」

        (ロラン・バルト『エクリチュールの零度』[訳]森本和夫:ちくま学芸文庫)


バルトによれば、「抽象的であって、関連に重点が置かれている」「それ自身によって濃密ではない」古典主義的な言語とは「ある結びつけの道」に過ぎず、


「古典主義的な連続体は、等しい密度を持ち、同じ情動的な圧力に服従させられた諸要素の継起なのであって、それらの要素から、個性的で創出されたような表意作用へのあらゆる傾向を抜き取ってしまう。詩的な用語そのものも、慣例的な用語なのであって、創出的な用語ではない。そこにおいては、もろもろの心像(イマージュ)は、創造によってではなく習慣によって、個別的にではなく塊となって特定的なのである」
                 (同)


ということになります。


バルトはフローベルやランボー、マラルメ(1842-1898)などを現代的な詩における〈語〉のパイオニアとしてあげていますが、ぼくの興味に引きつけて考えてみると、ルイス・キャロル(1832-1898)に思い至ります。キャロルが残された多くの少女たちのポートレートによって知られるように写真家としても一流であったことは、彼の思考の視点にどのように影響していたのか興味深いことです


桑原茂夫は『チェシャ猫はどこへ行ったか―ルイス・キャロルの写真術』のなかで、『鏡の国のアリス』の原題 Through the Looking-Glass, and What Alice Found There には一般に鏡を示す mirror ではなく Looking-Glass という語が使われていることに注意を促しています。Looking-Glass はキャロルの時代のカメラに使われていたすりガラス(ここに映し出されたさかさまの像が感光版に記録される)を意味する語でもあります。
さらに、ちょうど『鏡の国のアリス』が出版される数ヶ月前にキャロルは自分の写真スタジオを作っているのですが、彼はスタジオをあらわす Glass house というコトバを『鏡の国のアリス』の第一章のタイトル―― Looking-Glass house ―― にすべりこませているのです。
また『不思議の国のアリス』でウサギ穴に落ちたアリスは、ちいさなドアから見える不思議の国の美しい庭を歩いてみたいと思いますが、ドアをくぐり抜けることができません。そこでアリスは考えます――「望遠鏡」のようにからだをちぢめることができたら!、と。そして、その後アリスははまさに望遠鏡からのぞく像がのびちぢみするように、大きくなったり小さくなったり、めまぐるしく変化します。


 当然アリスは何度も不安に襲われることになる。自分の体の大きさがそうしょっちゅう変わってしまっては、どれが本当の自分なのかわからなくなって、しまいには「わたしは誰なの?」という疑問に突き当たってしまった。
 望遠鏡や顕微鏡の飛躍的な発達と写真術の開発というビジュアル革命に伴って、次々に登場したさまざまな「像」は、キャロルに哲学的問題を投げかけ、作中のアリスを悩ませてしまったようである。
           (桑原茂夫『チェシャ猫はどこへ行ったか―ルイス・キャロルの写真術』:河出書房新社)


身体の遠近法だけでなく、『アリス』の世界においては、名称と意味というコトバの主客は転倒し、主語述語という論理と文法の遠近法も完膚無きまでに破壊されています。

レンズを通すことによって世界はさかさまの像として印画紙に写しとられるわけですが、詩人の眼はそんな「冒険的な眼」なのだ、と北園克衛(1902-1978)はいいます。



彼女たちは美しいことが何であるかをよく知ってゐて
不意に写真機のなかへ真逆に墜ちて来ます
(パラソルの骨も折らずに)

    (北園克衛「美しい秘密」)



北園は二十代のころを回想して、


「幾何学的な芸術、T.E.ヒュームのオピニヨンに共通した非人間主義的な傾向を鮮明にしていた。ネオ・ダダ運動としてマニフェストしようと考えたりした」
            (「黄色い楕円:一人のVouポエットの記録」)


と書いています。


これらの、シニフィエをもたないシニフィアンのたわむれ、とも言える二十世紀的な言語観、バルトの「言語の関連を破壊し、述語を語の逗留地へと引き戻す」「それ自身によって濃密」なものとして言語をあつかう態度というのは、つまりコトバを(マルセル・デュシャン(1887-1968)が「泉」という作品で便器から日常的な品物としての価値を剥奪して、ひとつの無目的な事物として提出したように)「オブジェ」としてみるということでした。


「ダダは何も意味しない!」と叫んで、言語を意味から切り離そうとした彼らの冒険は、未来派とは異なり、一切の価値観の相対化をめざすものだった。「秩序=無秩序、私=非私、肯定=否定」という、ツァラが一九一八年に発明した等式は、あのヨーロッパ近代型の二項対立の失効をすでに宣言していた。意味から切り離された言葉は、主体の意思を伝える便利な道具であることをやめて、文字どおりのモノ=オブジェとして、ただ偶然だけによって漂流しはじめるほかはなかったからだ。
 そのことをパロディ的に戯画化したのが、新聞記事を切り刻んで、でたらめに組み合わせて詩をつくる「ダダの作詩法」(ツァラ)だった」
「……ダダによる意味との切断は、主体からの距離によって言葉やモノの意味が定められるという知の遠近法を根底から揺るがせてしまった。その結果、世界という見慣れた場所は確実な準拠枠を失って、不確実で偶然的な、見知らぬ場所へと変貌することになる。」
              (塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』:ちくま学芸文庫)


ロートレアモン(1846-1870)の「ミシンと洋傘との手術台のうえの不意の出逢い」はこういう(イメージからそれにまとわりつく観念を排して説明不要の「もの」として差し出そうとする)「オブジェ」としてのイメージの先駆けでした。


「まず、さまざまな事物から自己を引きはなし、自己との関連においてそれらの事物を見ることをもはや止め、それらの事物が、それら自体であり得るであるように、それらを見ることが肝心なのである。そうすると、それらの事物がさまざまに異なる意味を持ちうることに人は気づくだろう。と言うことはつまり、一般に人々がそれらの事物に与えていた基礎というものが、じつに脆弱なものであったと言うことにほかならない。

……たとえばマックス・エルンストは、あの有名なイジドール・デュカスの言葉をもとにして、なぜ美が「解剖台の上での、ミシンと雨傘との出会いから」生まれ得るかを、われわれに説明してくれる。事実、「その素朴な用途が、まったく決定的なものとして定められているように見える或る既成の実在(雨傘)が、これとはひどくかけ離れていて、それに劣らず不条理なもう一つの実在(ミシン)といっしょに、その両者がまったく場違いだと思われるような一つの場所(解剖台の上)に突如として並べ置かれた場合、これらの実在は、そのように配置されたという事実によって、それ自身の素朴な用途もその本性も失ってしまい、ひとまず相対的なものになり変わることによって、偽りの絶対性から、真実で詩的な、新しい絶対性へと移行してゆく」のである。
        (イヴ・デュプレシス『シュールレアリスム』[訳]稲田三吉:文庫クセジュ)



古代ローマの詩人ホラーティウス(65-8 B.C.)は『詩論』の冒頭で、


もし画家が、人間の頭に馬の頸をつないで色とりどりの羽を身にまとわせたいと思い、あちこちから手足と胴を集めてきたなら――こうして上のほうは美しい女であったものが、下のほうは怖ろしくみにくい魚になってしまうなら――招待されてその絵を見たとき、あなたがたは笑いを抑えることができるだろうか。
            (ホラーティウス『詩論』[訳]松本 仁助、岡 道男:岩波文庫)


と詩における自由な表現の行きすぎを諫めています。
これに対して西脇順三郎は、「もしホラーチュウスが今日のシュールレアリスムの画家の作品をみたりシュールレアリストの詩論をよんだならばさぞ笑いがとまらなかったであろう」(西脇順三郎『詩学』:筑摩書房)と皮肉っています。西脇は、「シュルレアリスム文学論」のなかで、


シュルレアリストの世界は、サンボリストの音の世界でもなく、また「意味の尖塔」でもない。単にイマジの世界である。またそのイマジはメタフオラでもなくアレゴリアでもない。シュルレアリストが、「タマリンドの樹」といつたら、それは、その樹の Image のみを表現するのである。その他には何等の意味も理智の活動をも象徴する目的でない。また、「永遠」といつても「淋しい」といつても、それ等は皆それ自身存在としての心理上の Image にすぎない。
……吾々が樹や牛をみると同様にその言葉は単にその言葉として存在するのみである。
    (西脇順三郎「シュルレアリスム文学論」『西脇順三郎全集第四巻』:筑摩書房)


と書き、シュルレアリスム運動を「所謂イマジストの運動であつた」とシュルレアリスムとイマジズムを同一視しています。これは、やや極論ではないかと思われますが、シュルレアリスムもまた「オブジェ」の芸術であったという意味では的はずれであるとは言えません。


「それで「自動記述」の実験でわかってきたことは、どうやら物を書くことをそのスピードに応じて段階化してゆくと、最終的には自分が書くというところから、「だれか」が自分を書くとか、「だれか」によって自分が書かれるとかいう状態に行く。書かれたものは主語や動詞がだんだんなくなってゆく。主語があって、動詞があって、それらに統御された客観物としての目的語や補語があるというような、いわゆる文章の通常の構文ではなくて、大方がオブジェすなわち客体であるような、つまり客観的な世界です。」

「主観的な幻想を描くのがシュルレアリスムだという定義は明らかなまちがいで、ここで頭から消去しないといけない。むしろ、人間におとずれる客観的なものたち、つまりオブジェたちが生起し表現されるのがシュルレアリスムですから。いいかえれば、主観にもとづいて幻想を展開するのではなく、むしろ、客観が人間におとずれる瞬間をとらえるのが、シュルレアリスムの文学や芸術のありかただということになるでしょう。」
        (巌谷 国士『シュルレアリスムとは何か』:ちくま学芸文庫)


「私の意識全体を揺り動かすのではなく、その代わりにその意識の表面で言わば凝固した観念」は殻のように固まって「第一の自我を覆う第二の自我」を形成する、とベルクソンは『時間と自由』で言っています。ベルクソンはフロイトの無意識の心理学を先取りするような形でもシュルレアリスムとつながっているわけです。


こうして「詩人の活動」というものが「超自然」の神秘にまで深くわけ入るための一つの手段であるという考えが、ランボーの反逆からほとばしり出た一種の神秘主義によって、19世紀の終わりごろから次第に深まっていったのだ。そこでわれわれは、各種の思考の分野において、合理主義を窮地に追いこむようなさまざまな概念の転換に当面するわけである。世界を静的に表現することに代わって、すべてを動的に表す手段がとられるようになった。

ベルグソンの全作品は、知性の限界をはっきりと浮かびあがらせて見せた。つまり知性が物質の領域のうえにしか働くことができないのに反して、直観をもってすれば存在の源泉そのものを把握しうるはずだからである。この哲学者は、フロイトの出現以前に、夢や遠感(テレパシー)の現象について、また理性の判断をもってしては、どうにも説明ののつかない、さまざまな心の働きのあらわれについて、注意をむけていた。
      (イヴ・デュプレシス『シュールレアリスム』[訳]稲田三吉:文庫クセジュ)



[続く]


散文(批評随筆小説等) ヒューム「ベルグソンの芸術論」(1) Copyright 藤原 実 2006-09-16 22:47:38
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