灰色の波紋
結城 森士

 真夜中の耳はアーアーという幼子の怯えたようなかすかな声を聞いていた、鼻腔にはプラスチックを焦がした時に嗅ぐような悪い気が入り込み、瞼は闇の中に二つの重なった円(或いは流れる光の川)を見つけ出していた。
わたしはふらふらと外へ出て橙色に染められた道路を歩き出した。
上から見下ろすと未だ
意識は見えない傷に
支配されていて、
          じんじんと痺れる脊髄、何処かへ連れていかれてしまうようっ、と泣いている幼子の声がする(道はいつまでも真っ直ぐ伸びる)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 電燈の下で照らされた水溜りには魚の影が揺ら揺らと同じ場所を泳いでいたのだが、それを突っ立って見ているうちに薄い灰色の影となり遂には消えていった。わたしは知らないうちに行くな、行くな、と呟いていた、
               (急に不安が背後に押し寄せて)
                              そうして、再び立ち上がり、もと来た道を引き返そうと振り向くと、ただ闇が広がっている、(ア、ア)何者かの意図によって仕組まれた錯覚と恐怖で動けずに佇んでいると先から影が近づいてきて、行くな、行くな、行くな、行くな・・・と声が追ってくる、(ア、ア、)痺れを伴った悪寒が脊髄を支配してわたしは後ろ向きに倒れ、何処かへ連れていかれてしまうよう、と泣いている幼子の声。目に見えない傷。
――――――――――――(目に見えない傷)
                      わたしは自分の身体が物凄い速さで宙に放り投げられるのを感じ、必死で布団に張り付いて脊髄はグルグルと大きな二重の円を描いていた、意識は床から天井まで上下に振れ、天井にぶつかってしまう。天井にぶつかってしまう。前後に大きく揺れる恐怖が到達点に来ると、再び薄暗い道路を歩いていた。

 酷い吐き気に見舞われながらもと来た道を引き返そうと振り向くと、目の前で唇だけの女性が何かを喋っていた。だが、何を喋っているのか理解することは出来なかった。わたしは大きく揺れながらその女も同じように揺れていた。                                                              大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、・・・と病気の様に繰り返し呟いていたのは、いつの間にそこにいたのかさえ分からぬ母の声であった。同時にわたしの耳は、アーアー、アー、という幼子の怯えたようなかすかな声を聞いていた。再び瞼を閉じると、わたしは光の川に飲み込まれて消えていくのを感じた・・・・・・。


自由詩 灰色の波紋 Copyright 結城 森士 2006-09-09 21:33:13
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