骨まで見たいと骨しか見たくないのあいだ
カンチェルスキス

 路地裏を歩いてて気づいたのは、街の電線が全部切れて垂れ下がってることだった。
「どうりで腹の調子がおかしいと思ったんだ」
 おれはつぶやいた。夕刻前。思い出した。花沢さんとの昔のやりとりを。
「街の電線なんか全部切れてしまえばいいのに」
 とおれはそのとき言った。
「何で?」
「おもしろいだろ。そっちのほうが」
「確かにね」
 今になって実現したわけだけど、おれの隣には花沢さんはいなくて、腹痛。
 せっかくだから垂れ下がってる電線を触ってみた。何というか、すげえ刺激的な感触だった。通りかかった自転車の女子高生たちがしゃべってるのが聞こえた。
「ねえ、さっきのあの人。一瞬だけど、骨が見えなかった?頭蓋骨とか肋骨とか」
「気のせいよ」
 話を振ったほうのあの女子高生は明日から虚言癖の女と呼ばれるのか、とおれは思った。


 おれにとってはあのときのやりとりの「確かにね」って言葉が心強かった。
 態度には出ないけど自分に対し異常なほど心細さを感じてる人間にはそういう言葉はかなり嬉しいもんだ。もう倒れなくてもいいんだって言うか、骨折者の松葉杖&ギプスって言うのか、朝のコーヒーを無条件で楽しめるって言うか、そんなふうに思えてくる。


 門の前でほうきを掃いてる手を止めて、婆あが垂れ下がってる電線を利用しておれに投げてきた。先っぽは輪っかになってて、ちょうどカウボーイの得意技みたいだ。おれは捕まった。すげえ刺激的な感触。
「おたくの骨、見えましたよ」
 婆あが言った。
「あなたの骨は見えませんね」とおれ。
「はい」
「犬のえさはもうあげましたか?」
「はい、皆様のお力添えで何とか」
「何杯?」
「ノベライズキノコ二杯分」
「お米っていいですよね」
「はい、当分ライスが続くと思います」
「次の現場行ってもよろしいですか?」
「けっこうです。お手数かけました」
 婆あがおれの首を締めつけてる輪っかを外してくれた。婆あの骨は見えなかった。おれの骨は見えていた。なぜこんなにも婆あはサロンパスの匂いを解き放つんだろう。

 まあ、こんなふうに誰かにほどかれたりするのはいいことだ。理想は自分で自分をほどくことだけど、誰にでもできることじゃない。ほどかれてる瞬間を感じることはとても気持ちのいいことだ。眠くなるような、いろいろやることはあるけど、眠っててもいいみたいな、そういうことが許されてるような感覚の底、そこにいられる。花沢さんといたあの頃、おれはそうだったのかもしれない。ほどいたり、ほどかれたり。ただ問題だったのは、最終的にはお互いを固結びし合ったことだった。ほどくのは無理だった。切断するしかなかった。体に密着していたから血が噴き出した。


 今頃、花沢さんは名前を変えたり手の指を一本増やしたり、昔のタモリみたいにポマードつけてびっちりセンター分けしたり、どっかの地方都市で後ろにカゴがついてる自転車なんかに乗って、かなり広いコンビニの駐車場でスラローム走行を繰り返してるんだろう。コンビニから戻ってきたトラックの運ちゃんが顔をしかめるぐらいに真剣に。真剣なのはいいんだけど、出力場所を間違えるとやっぱアレだから。何にでもケチャップをかけたがる花沢さん。そうめんもケチャップ。ダスキンにケチャップつけてモップ掛け。歯磨きすんのもケチャップ主義。電池を入れて動かしてくれる誰かを待ってる薄幸の動かないこけしちゃん。眉毛を書き忘れると感熱紙と間違えられる。


 今じゃ、あのときのやりとりも変わってしまうんだろう、こんなふうに。
「電線切れるとさ、やっぱやばいね」というおれに、
「どうして?」と花沢さん。
「真っ暗になるだろ」
「当たり前じゃん」
 これで終わりだ。商店街のシャッターが一斉に閉められる音と映像がおれの頭に浮かぶ。日曜日の正午だと言うのに。
 近くにいるけど、すごく遠い。


 誰かおれのことをほどいてくれないかな、とおれは思ったりするけど、腹の調子もあるし、今、ほどかれたりあるいは誰かをほどいたりするのはたぶん無理だ。緊張が緩むか過緊張して漏らした液状のクソで溺れ死んでしまう。まあ、おれが思うに、何でもタイミングが大切だってことだ。


 電線垂れ下がる街は夕刻過ぎても真っ暗。小腸の中を歩いてるみたいだった。小腸の中を歩いたのはずいぶん前のことだ。



 <<川元緋呂子さんとの連散文。





散文(批評随筆小説等) 骨まで見たいと骨しか見たくないのあいだ Copyright カンチェルスキス 2004-03-07 17:24:32
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