九死に一生いなり寿司
砂木

私 帰るから

駐車場で 車に荷物を入れている 夫に
私は 口走っていた

何か言ったか とふり返った時
もう 走りだしていた

このまま 新居になんか行きたくない
結婚なんてしなければ 良かった

数分後に 実家へ帰る汽車がある事は
新婚旅行の時刻表を決める時 知っていた
ああ これに乗れば 戻れるのね
まだ 憧れていた沖縄に行く前に
少し せつない気持で 覚えた 
乗るつもりは なかった

汽車のドアが閉まる

白浜行きの鈍行は 海水浴帰りの人々
秋田駅から また地元に近づくと
もっと 気持が落ち着くはずなのに

どうしても気になる事がきけなくて
逃げ出してしまった

両親の 結婚式での 晴れやかで寂しそうだった事
弟のお祝いの歌
プロポーズの時の 嬉しそうな顔
両親に 挨拶してくれた時の くたびれた顔

左手の薬指の 新品の指輪
どうしよう どうしよう
でも 許せない 帰れない

降りた駅は 無人駅で
ひとひとり いない

暗いホームに立つと 途方に暮れた
厳しい父の顔 喜んでいた母の顔がちらつく

どこへ行こう

小さな待合室の中で 恐くて震えた
段々と思い出すのは 
今 逃げ出してきた夫の顔

どこか店で ご飯を食べて帰ろう と言っていた
お父さんに 私を下さいと言ってくれた
ほんとにお嫁さんにしてくれた

指輪をくるくるまわして 深く沈んでいると
キィと 扉の開く音がして 夫が立っていた

やっぱりな さあ 帰ろう

指輪を はずそうか どうしよう

ほら もう 遅いからこれしかなかったよ

コンビニのビニール袋の中には 五個入ったいなり寿司とお茶

どうして
私は いなり寿司をみながら やっと聞いた
どうして りょう子の 好みの色知ってるの

それは おみやげを選んでいた時の事
親友のりょう子へと買った壁掛けの色を
私より先に 夫が選んだのだ

三人で会ったことはあるけど
色の話なんかした事がない

りょう子には こっちの方がいいなんて ドウシテイエルノ

夫は少し 目を細めて ああ それか と言った
結婚式で コサージュつけてただろう 黄色の
好きだからつけてたんじゃないのか 

それだけ? ほんとに?

ほら 車の中で食え 行くぞ 来い
すたすたと 先に行く

待って
少しつられたように 私は追いかける
ああ そうだっけ そうだったかしら そうだったのか
いなり寿司なんて やっぱり やさしいな

車に乗り込み 追いかけてくる妻を待ちながら
りょう子の黄色いコサージュを 思い浮かべた

ほんとに 小さなことを気にする

煙草を くわえながら
ドアを開けてやる

妻は もう逆らわなかった

りょう子も 逆らわなかった
こいつの方が 好きだと 言ってしまった時
黄色は 俺の好きな色












自由詩 九死に一生いなり寿司 Copyright 砂木 2006-08-27 08:30:55
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