信濃追分の風
服部 剛

人間は汚れている。身も心も。 
人の世のニュースを写すテレビ画面の中で。
私の姿を映す鏡の中で。
全ての日常は、色褪せていた。 

  * 

一人旅の道を歩いていた。 
信濃追分の風に吹かれて。 

緑の木々のトンネルの中で
頭上の葉群は風に唄い始め、
思わず立ち止まり、見上げていた。 

  * 

木々のトンネルの長い暗がりを抜ける。

道の傍らに、一輪の花が咲いていた。 
みつめると、細い茎を揺らして花は踊り出し、
背後を彩る七色の花々が合唱を始めた。 

畑では、背筋を伸ばして天を指す、
ぎっしり並んだ玉蜀黍が、肩を組んで揺れていた。 
里芋の、大きい葉群が波打っていた。 

( 樹影には、
( 肩の輪郭が溶けた野仏が
( 足を崩して座っていた 

木々の葉の隙間からあふれる夕陽の光を背後に、
古い駅舎へと続くなだらかな坂道を走る。
信濃追分の風に吹かれて。 

( 先程、五十年前に
( 妻の腕に抱かれながら血を吐いて死んだ男の
( 火鉢の置かれた和室の前に、
( 旅人の私は立ち尽くしていた。 

辿り着いた駅舎の剥げた木柱にもたれて振り返る。
一面の、野原の向こう、
うっすら姿を消す浅間山に
信濃追分の夕陽は沈む。 

( 野原に浮かぶ、今迄出逢った人の面影。
( 一人ひとりの心の空に 
( 透きとおった、一輪の花が揺れていた。 








自由詩 信濃追分の風 Copyright 服部 剛 2006-08-10 07:08:30
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