インターネットの閉鎖性 1
いとう

 インターネットが現在の詩の状況に光明をもたらすとは、じつは
露ほどにも思っていない。何らかの状況変化が起きるとは思うが、
それが「光明」であるとは限らない。インターネットほど閉鎖的な
媒体はないと感じることが常々ある。

 ここでA氏という架空のキャラクターを立ててみよう。彼(彼女)
は詩を好み、自分でも手慰み程度に書く。書店や図書館で詩集を探
し、詩誌も読み、投稿したことも幾度か。このように、かなり積極
的に詩に携わるタイプとする。さて、このA氏、最近ネットで詩に
関する活発なやりとりが行われていると耳にする。ホームページを
作り自作の詩を載せることもできる。気軽に発表できる場もあり、
多くの詩人と交流できるそうだ。周囲にそのような場がなかったA
氏は喜び勇んで飛び込もうとするが、まず、ネット環境が整ってい
なければ見ることすらできない。パソコンの代金も含め安く見積も
っても十万円相当の初期投資費用が発生する。環境を整えたとして
も、操作に慣れなければならない。

 A氏はなんとか環境を整え、ネットの海へやってきた。しかしこ
の海は広すぎて、どこから手をつけていいのかわからない。詩のサ
イトを検索しても何十万という膨大な数になる。少しずつ見ていっ
ても目にするほとんどがくだらない内容で、どんどんやる気が削が
れていく。これなら詩集を読んでいるほうがマシだ。投稿を中心と
した大きなサイトも見かけた。しかしそこでもつまらない詩が多い。
試しに数篇ほど投稿してみる。初めて返信が来たときはさすがに嬉
しかったが内容はいつも当たり障りのないもの。ときには頓珍漢な
内容も返ってくる。この人たちは本当に詩を知っているのだろうか。
他の人たちの会話を追っていくと、詩を書いているくせに著名な詩
人すら知らない。掲示板も覗いてみるがスピードについていけない。
一日経てばあっという間に話題が流れていく。しかもその雰囲気は
仲間内そのもの。新参者としては発言することすらためらう。どう
も居心地が悪い。ならばと奮起して自分のサイトを立ち上げてみる
が、知り合いも少なく、幾万もの他のサイトに埋もれ、誰も訪れて
くれない…。

 多少の誇張はあるが、おそらく現状もこれに近いものがあろう。
視点を変えて見ればネットという媒体はこれほどまでに「外部」を
受け付けない。

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 物語は次回に続く。月日が経ちある程度ネットの海で素潜りもで
きるようになったA氏。その中でA氏が見たものとは…。



散文(批評随筆小説等) インターネットの閉鎖性 1 Copyright いとう 2006-08-07 17:09:46
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