盆踊りの夜 
服部 剛

 今日は職場の老人ホームの納涼祭であった。通常の業務を終えた
後の18時半に始まるので、正直勤務中は、「今日は一日、長いな
ぁ・・・」と思いながら働くのだが、いざ盆踊りが始まってしまえ
ば、暮れてゆく夜に浮かぶ無数の提灯ちょうちんが光り、やぐらの上で威勢良く
鳴り響く太鼓の周囲を浴衣やハッピを着た地域の人々と職員と輪に
なって踊り、それをお年寄りの皆さんが楽しそうに眺める、子供達
が水に浮かぶヨーヨー掬いに群がる頃には、長い一日のことは不思
議と忘れてしまう。この、年に一回行われる職場の盆踊りの夜の情
景が、僕は好きである。 

 僕は他部署のお年寄りの手伝いをしていた。六年前に挫折した特
養(重度障害者の介護)で、当時自分が至らずに、お役に立てなか
った思いがある、ムチ打ち・半身麻痺・糖尿病で、車椅子に乗った
お爺さんの担当であった。本音を言えば、当時の自分自身が至らな
かったと同時に、そのお爺さんの言葉に傷ついたこともあったので、
つい最近まで、廊下で顔を合わせることがあっても素直な気持で挨
拶できない自分がいた。今日は「担当になった以上、過去のことに
はこだわらず、共に過ごそう」という気持で、そのお爺さんの部屋
に迎えに行くと、黄色いハッピを着て車椅子に乗ったお爺さんは、
準備万端で部屋の出口で待っていた。 

 盆踊りが始まり、職員が踊り始めると、車椅子のお爺さんは傍ら
に座る僕に、「踊っておいでよ」と言うので僕は列に加わり、炭坑
節や東京音頭等を踊った。踊り終えると、お爺さんが「芝生の上の
テーブルに行きたい」というので、車椅子をテーブルまで押して、 
お爺さんに頼まれた焼き鳥と焼きそばとビールを買って来て、乾杯
して、美味しい一口目の苦味を、喉に流した。お爺さんは「部署が
変わってから、すっかり落ち着いたねぇ・・・」と言うので、僕は
少し苦笑いを浮かべながら、「あの頃は至らないところがあり、す
みませんでした。」と頭を下げた。笑顔を浮かべたお爺さんは、食
べやすいように皿に入って刻まれた焼きそばを片方の手で握ったフ
ォークで掬い、美味しそうに食べていた。

 僕は自分が食べていたじゃがバタに塩をかけてもらう為、席を外
すと、人ごみの中から「服部君・・・!」と叫ぶ声に思わず振り向
いた。現在の部署に移動して来た頃自信を失っていた僕に、自分ら
しさを取り戻すよう育ててくれた、退職して二年近くになる当時の
主任の A さんの声だった。傍らに置かれたベビーカーの横で、大
きくなった三歳の女の子が、にっこり笑って立っていた。嬉しそう
に手を差し出した A さんと握手すると、繰り返し「がんばってる?」
と声をかけてくれた。僕は「はい」と頷き、片言の言葉しか話せな
かったが、内心は、A さんがいた頃とスタッフもすっかり変わり、
最近は疲れているというのが、言葉には表せない本音だった。だが、
あんなにも真剣な声で、人ごみの中を貫くような声で僕を呼んでく
れたことが、とても嬉しかった。

 車椅子のお爺さんの所に戻り、この日最後の踊りの列に、車椅子
のお爺さんと共に加わった。六年前は至らずに、お爺さんのお役に
立てなかったが、力強く鳴り響く太鼓を中心に輪を作り、浴衣やハ
ッピ姿で踊る、夏の夜の夢の情景の中にお爺さんと共に身を置いて
いると、六年前の自分の愚かさを少し償えたような気がした。  

 最近の僕は、公私共に疲れ気味であった。時にとても不器用にな
ってしまう自分に、嫌気がさしていた。だが、それでも、こんな自
分でも、今夜お爺さんと過ごした盆踊りの夜のように、役に立てる
時があるのだ。もし、どんなに自分の存在が無意味に思えても、こ
の地上の何処かには、お互いを必要とする人がいるのだ。 

 ゆっくりと車椅子を押しながら、見上げた無数の提灯の明かりが
優しい、盆踊りの夜であった。 





散文(批評随筆小説等) 盆踊りの夜  Copyright 服部 剛 2006-07-23 11:01:21
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