国道
河野宏子

夏休みになると自転車で旅に出る男の子たちがうらやましかった。
大きな国道沿いの集合住宅から、蝉のぬけがらを轢いて、
日差しに溶けないように黒くなる細っこい脚の駆け出す
立ちこぎの夏を横目に、わたしには初潮がきた。
プールに行けない理由もうやむやにして去年とおんなじ
アニメを眺め、かあさんの置いてったおにぎりを食べた。
まだクロールも下手だった。

初めてのボーナスが出たので、故郷から車で一時間ほど
隔たった街に恋人と暮らす部屋を借りた。この部屋の夜にも
国道を走るトラックの灯りがはいってきて、傍らに眠る恋人の
顔を別の人みたいに照らしていく。睫毛の影。少しこけた頬。
生え際の、大きな傷跡。額の寝汗を手のひらで拭ってみる。
この傷が熱を持っていた夜のことをわたしは知らない。
この傷がなかった頃の彼のことをわたしは知らない。
よく、ここまできたね。
額の寝汗を手のひらでまた拭う。

つけっぱなしの小さなテレビから今日最後のニュースが流れる。
テロリストの爆弾にジャーナリストの夫を奪われた女性は
カメラを見据えて、愛する人は粉々の遺体まで可愛かったと
言った。彼の脳漿のこびりついた帽子を握りしめて。

夏休みになると遠くへ旅に出る男の子たちがうらやましかった。
あの子たちはどこへ辿り着いたんだろう?
わたしは彼の傷を指先でなでる。
明日は、泳げなかった頃の話をしようか。


自由詩 国道 Copyright 河野宏子 2006-07-12 15:12:01
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