細胞分裂
ネット詩の悪魔

かつては電話一本で事は済んだ
君の分厚いメモ帳には
大切な電話番号がぎっしりとつまっていた
古きよき時代の御伽噺だ
現在ではもう少しだけことは複雑だ

まず人間が多すぎる
誰かが誰かを
その誰かがまた誰かをドアの内側に引きずり込み
テーブルの上で握手が交わされ
モノクロの名刺が蛾のように飛び交い
時にはグラスが交わされ
時にはすっかり薄くなった頭が床に擦り付けられる

そしてリスト
一つまた一つと項目が追加され
その意味を知っている者は誰もいない
ページ数はプルースト並に膨れ上がり
律儀に最後まで読み通すのは
もはや君ぐらいなものだ

君は時々わからなくなる
今自分が一体どこで何をしているのか
もはや化学反応は複雑すぎて理解できず
化学式は海の彼方まで延々と続いている

不意に誰かが言う
「持つべき物は友だ」
また誰かが言う
「ぎぶあんどていくだ」
誰もが各々の哲学を持っている
誰も理解できず
興味がないという意味で
それは真の意味での哲学だ

君は感心する
人間のあるべき姿がここにある
冷徹なプロフェッショナル
博愛に満ちた人道家
模範的家庭人
隣人を大切にせよ
そして常に完璧さを求めない
良心的寛容さまでをも持ち合わせている

数字には常に誤差がある
小数点以下は切り捨てられ
タクシー代はチケットで支給すればよい
コンピュータは電卓に劣る
しかしそれを疑問に思う者はどこにもいない
相変わらずプリンタは
延々と続くリストを吐き出し続け
余白に消えた歳月の思い出は
すでに忘却の彼方だ

君はたまに吐き気を催す
対象は石ではなく
棚の上で埃を被ったブリーフケースだ
かつてはこのブリーフケースから
白い鳩が何羽も飛び出し
七色のクラッカーが鳴り響き
楽隊が勝利の凱歌を吹き鳴らした

忘れ去られた美学
時は去り往く
いつの間にか周りは
見覚えのない顔ばかり
しかし何故自ら去り往く者は一人もいないのだろう?

細胞分裂には限界がある
その先にあるのは
安らかな死だけだ
その時君の遺体は清らかな芳香を放ち
遺骨に群がる人々の列が海の彼方まで延々と続いている
死しても尚
君には差し出すものがある
しかしそれも今のうちだけだ

やがてはタネも尽きる
誰もがそれを知っている
私立ではない方の小学生から
一人暮らしの老人たちまで
理解しないのは真の意味での哲学者たちだけだ

最早ゲームを降りるには遅すぎる
しかし心配することは何もない
ほんの少しだけ名前と良心と名誉を
心の片隅に追いやってフタをしていれば済むことだ
君がいなくなった後で
自分の腐臭に吐き気を催すことは
君にはできない
現在の君にとって
最高の福音だとは思わないか?


自由詩 細胞分裂 Copyright ネット詩の悪魔 2006-07-11 02:36:19
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