乳房〜その1
黒田康之

女の脂肪は仮構だと友人はらくらくと言い放った
剥ぎ取って
愛して
悔やんでも悔やみきれない自由を
彼は
らくらくとどうしようもなく言い放った

夏の夜はすかっりと光を抱き取り
もう誰にも愛せない彼方に隠してしまったこの時間に
なみなみと注がれたビールを美味そうに
磨耗することのない喉仏をぎくしゃくと揺らしながら
彼はまるで継続された時間がそこにあるように
ぐびぐびとビールを飲んだ

何もなくなって
砂漠がここにあるようにと
植木鉢に
丁寧に
毎朝水を注ぐように
僕と彼とはビールを飲んだ
彼の
「仮構」
と言う言葉に
辞書にあるような意味があるかは知らないが
愛はいつだって
こんなにも簡単に
どこかに
それが
ついさっきまで
この手の中に
この胸の内に
こうして眠っていたとは
わからないくらい鮮やかに
行方不明になる

彼と別れて
黄色い電車が
レモン色の眠りとはかかわりのない
僕のベッドに僕を運んでゆく

君は
君は僕のベッドで
何よりも愛おしいものを抱くように
どんどんと
深く深く
その膝を抱いて僕を見ている
子供よりも
僕よりも
時間よりも
自分よりも
愛おしいものである君の膝は
君の乳房を
僕の知らない形に
この手のひらも
この愛さえも知らない形に歪ませてゆく
そうして
そのひしゃげた乳房の形に
闇夜がずんずんと僕らに来て
僕たちは今夜
その闇の中で眠るのだ

女の脂肪が仮構ならば
僕の
おまえの
君の何が
僕なのだと
君なのだと
いい言い切れるのだろうと
判っているから
今年一番短い闇夜を寝よう

君の乳房と
おまえのビールの匂いに
当たり前の
次の日ってやつが
どうしようもなくやってくるように
祈りながら
怯えながら
僕はすべての友人と
すべての恋人と
すべての自分のために眠る


自由詩 乳房〜その1 Copyright 黒田康之 2006-06-21 23:14:15
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