嫌われ者
Tommy
幼いころからクレヨンに嫌われていた。
僕がクレヨンを握って紙にあてても
クレヨンは色を出すことをかたくなに拒んだ、
紙は真っ白のままだった。
僕のほうでクレヨンを嫌ったことはない。
鉛筆や色鉛筆や絵の具とかわらず
クレヨンも大好きなはずだった、
色がつくならば。
どうした訳か(おそらく生まれたときから)
僕は全世界のクレヨンに嫌われていた。
どのクレヨンを握っても色はつかなかった。
障害のある子供たちの学校に行ったら
みんなクレヨンで絵をかいていた。
目のみえない子が 黄色のクレヨンを握ってすべらすと
画用紙は明るい光にあふれた。
握力のよわい子が 赤のクレヨンに乗ると
画用紙にはきらめく太陽がうまれた。
そんなこと 僕にはできない芸当だった。
みんなクレヨンに愛されていた。
世の中には
誰にもできることと
限られた人にしかできないこととがある。
クレヨンで色をつけるのは
誰にでもできることなのだそうだ。
クレヨンに愛に気づいていない人の言葉だ。
今はクレヨンを使う必要もなくなり
くるしい思いをすることも少なくなった。
それでも 時おりクレヨンを見かけると
僕はそのきつい視線を感じにはいられないのだ。
未だにクレヨンで色をつけるのに成功したことはない。
未だにどうして嫌われているのか分からない。