兎女
黒田康之

テレビをつけると
いつの間にかスポーツニュースが始まっていて
きっといつか見ただろう中年の男が
神の立場で
野球をカミカミ語っていた
もうすっかり名前も
投手だったか野手だったかもわからなくなった
その男が饒舌に
男たちの今夜の仕業を語るとき
中年神の
横に坐った若者は
ハアハアとため息のような相槌を打つ
すると僕の横にはいつの間にか
兎の目をした女が坐っていて
野兎のような真っ黒な目で僕とおんなじ画面を見ながら
僕のグラスでビールを飲んでいる
野兎のようなその女は
真っ白な肌をしていて
少しだけふくよかなうなじを
縦横に動かしながら
中年の男に相槌を打つ
グラスを唇の奥の
ささやかな蜉蝣の羽のような前歯で噛んで
女はチビリチビリとビールを飲んだ
やがて女はおんなじ画面を見入る
僕の存在に気がついて
急に怯えた目になった
僕は思わずその兎女を捕まえようと
飛び掛ると
兎女はキュウキュウと息を漏らして泣き始めた
僕はなぜだか悲しくなって
その女を手放すと
女はただひたすらに駆けて逃げた
あとにはただ
初夏の細い三日月の
十分な光のような柔らかな肌の感触だけが
ひりひりと残り
いつの間にか僕自身とすり替わろうとしていた
女の逃げたその跡には
悲しい白兎の目のような
赤い哀しみが点々とあって
僕は女のグラスで残りのビールを飲んだのだ
空には月
三日月
赤い哀しみに触れながら
僕は女の明日だけを考えた


自由詩 兎女 Copyright 黒田康之 2006-06-09 20:32:51
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