詩なんてくそ食らえと思ってた僕が詩をかいてるわけ
山崎 風雅
よくは覚えてないけれど
おばぁちゃんに連れられて
町のうどん屋に入って
にしんそばをたべたのを覚えている
初めて食べるにしんそば
なんて美味しいものが
この世にはあるのだろうかと
ズルズルと食べたのは
小学2年の頃だった
おばぁちゃんは肺がんになり
日赤病院に入院する
治療の施し用がなくなってからは
今はなき僕の実家の二階で療養する
記憶は定かじゃないけれど
おばぁちゃんは最後までタバコを離さなかった
それは今の僕にも受け継がれて
今の僕はヘビースモーカーだ
闘病で胸の痛みに耐えているおばぁちゃんの姿
僕の母が看病したが
用事があると床を叩いて母を呼んだ
その度に母は病床に駆けよって看病した
亡くなったときは幼心に実感が湧かなかった
母は安心したように端からみえた
母の苦労も大抵だったのだと思う
まだ若かった
62歳だった
おばぁちゃんの亡くなるまでの闘病生活をみて
死に対する恐怖がふくらんでいた
死というより病気が恐かった
うちの母はエリート意識が強く
僕にもそれなりの将来を期待していた
僕は学校の成績はよくてよく誉められた
中学2年の時の模擬試験では
全国で21番になったこともあった
しかし
母が僕を自慢するのをみていると
これは違う
僕は凡人だという思いが重なり
次第に勉強しなくなった
その頃巷ではノストラダムスの大予言がはやっていた
努力しても死んじゃうんだ
僕は努力することをやめ
刹那の快楽や現実逃避のゲームなんかに
夢中になった
高校にはなんとかはいれた
一応進学校だった
本を読むのは大好きだった
詩や短歌の類は大嫌いだった
父は高給取りだったが遊び人だった
子供の教育の一切を母に託していた
僕達兄弟に問題があると母が怒られていた
高校時代に酒とタバコを覚え
夜の京都の町を飲んではディスコに行くことが多かった
先のことは心配だったが
バブルに踊らされて小遣いをブランド服に費やした
学校の成績は当然今いちで
もっと遊びたいという名目で
大学進学を目指したが
2年うけてどこも通らずあきらめた
京都にいるのが嫌になり
東京、神奈川、長野、名古屋、大阪あたりを
住み込みで働ける仕事を見つけては放浪した
どの仕事も続かなかった
いつもなにかのせいにしていた
その頃ハウトゥものが好きで読み漁った
ゲームもしまくった
27の時大阪の定食屋で働いてたとき
高校3年のかわいい女の子がバイトではいった
二人で息投合するようになり付き合うようになった
3年付き合って浮気されて失恋した
大ショックだった
別れた後もストーカーまがいな事までしてしまった
長々と手紙を送ったり
待ち伏せして会おうとしたりした
しかし、もうダメだと思い立って
気持ちを落書き帖に綴って過ごした
あらゆる気持ちを書き記した
やがて、そうしているうちに
書いてるものが気がついてみれば詩になっていた
それからも何度か恋愛をし
傷ついたり喜んだりすることを
詩にして書いていた
僕が詩に関わるようになったのは
こう言ういきさつなのでした