Die Forelle D550 Etwas Lebhaft
芳賀梨花子

西御門にしみかどのフレンチレストランで女友達と、春野菜のソテー、小鳩のロースト、ワインもまぁまぁ、早めに戦線離脱したわたしはデザートのメニュー。ルバーブのパイ。そういえば、今朝、谷川俊太郎詩集を読んでいたら倉渕村のことを書いた詩があった。上信越自動車道ができて、めったに耳にしなくなってしまった倉渕村。関越を富岡で下りて大学村に行く途中。きれいな川が流れていた。あの道を通って大学村まで、谷川先生も車を走らせたのだ。今、大学村は通過するだけ、もっと浅間山に近い、火山灰の大地に、わたしの家は移ったから、祖母が湿気を嫌がったから、いや、そもそも、資金繰りが苦しかったから、大学村の家は梅屋が買い取って、梅屋のものになったけど、たまに大学村へ、その家を見に行った。祖父母はとっくに天に召されて、そして母も年々癌で弱っていった、あの夏も。母が子供のころ、草軽電鉄に乗って、その家に来ていたころと同じ庭だと、母はその庭で三つの岩を見つけては無邪気に喜ぶ。浅間山から噴出した黒い醜い岩三つ。その岩は50年以上の月日変わらず、そこに並んでいるのだ。見ざる言わざる聞かざる、三つの岩、黒い岩。祖父が縁側で庭を眺めては、変な節をつけて呼んでいた、あの三つの岩。母はおばあちゃまがルバーブのパイを焼いているみたいねとわたしに言った。そろそろ照月湖から夕方の靄が駆け上がってくるだろう。翌年の夏に母は病院で息を引き取った。梅屋に買い取られた家は取り壊しになるそうだ。わたしはいてもたってもいられなくなって、あの家へ、倉渕村から浅間隠しをまわって、わたしは一人であの家に行った。見ざる言わざる聞かざるを奪い返すために、あの家に行った。耳を澄ませば祖父が岩を呼ぶ声。まだ子供の母がルリボシヤンマを追い、祖母がルバーブのパイを焼く香ばしいにおいのする、あの家、あの庭。夕暮れ。肌寒い風。照月湖の靄。わたしはあらんかぎりの力を振り絞って見ざる言わざる聞かざるを奪い返そうと必死になる。動け、動いて、一緒に帰ろう、新しいおうちへ行こう。三人はわたしのことなんて知らん振り。見ざる言わざる聞かざるはびくともしない。お願い、お願い、動いて、一緒に帰ろう、新しいお家へ行こう。必死になって、無我夢中で、爪が折れ、靴が脱げ、ジーンズは泥だらけ、それでも見ざる言わざる聞かざるを奪い返したかったのに、その名のとおり見ざる言わざる聞かざるで、頑固で、どうしようもなくて、すると、茅葺だった屋根が赤く葺きなおされて、それでも、この夏が終わったら取り壊される縁側で、祖父がシューベルトを歌いだした。真澄の川に鱒は泳ぎと祖父が歌いだした。わたしはとうとう泣き出して、祖父は隣にお座りと目配せする。わたしは泣きじゃくりながら、シューベルトを歌う祖父の隣へ、すると祖父は、昔、切り出してきた竹でわたしと一緒に作った釣竿を磨き始め、ふたりは見ざる言わざる聞かざるのような時間をひたすら過ごし、とうとうわたしの涙が枯れると祖父は、明日の朝は早く起きなさい。照月湖に鱒を釣りに行きましょう。お前も大人になったから、きっと、大きな鱒が釣れるだろうと。その時、テーブルにルバーブのパイが運ばれてきた。女友達はルバーブを知らなかったので興味しんしん。わたしは蕗の一種だよと、子供のころ、おばあちゃまがこれと同じのを焼いてくれたんだよ、とっても美味しいんだよと、女友達に教えてあげた。女友達はデザートを注文せずにアマレットを飲んでいたから。


自由詩 Die Forelle D550 Etwas Lebhaft Copyright 芳賀梨花子 2003-04-11 02:44:10
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