カオスの反逆
atsuchan69
♪おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ‥‥
江戸時代に幾度となく起きた「ぬけまいり」「おかげまいり」とよばれる現象。
熱狂的な、イナゴのような大群集による24時間街頭ミュージカルとでもいうべき奇行。舞台は日本全土、ロングラン‥‥リアルタイム上演。
これは、1969年8月にアメリカを襲った「ウッドストック」をあらゆる面において遥かにしのぐ‥‥どころか、ほとんど比較にもならない規模で起きている。
ふらりと長屋から出てきた女は、まだ家事の最中だというのに、
♪「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」
と口ずさみ、宙を見据えると、そのまま夫や子を家にのこして消えてしまう。
身も知らずの人々との合流‥‥彼らと寝食をともにする道中が数十日もつづく。来る日もくる日も、歌と踊り‥‥非日常的な、ある種(常識を欠いた)狂乱状態の日々。
やがて、けろりとした顔で家に帰ると、お咎めなし。
(これを行なったのは、けして人ではないからである)
私は、「おかげまいり」について考えるとき、かのギリシア神話―ディオニソスが女たちを躍り狂わせ、テーベの王ペンテウスを八つ裂きにするくだり―を連想せずにはおれない。(八つ裂きにし、その肉をくらう女たちにまじってペンテウスの母親もいた)
秩序に対するカオスの反逆は、いったん境界の堰をやぶったが最後、その勝敗は言うまでもない。
既成の秩序、既成の権力など、じつはカオスの力の前ではいとも容易く崩壊してしまうものなのだ。「おかげまいり」を行なった者への「お咎めなし」は、カオスの絶対的な力の前にひれ伏す既成の秩序そのものの哀れな姿に他ならない。
もっと端的に言ってしまうと、社会的秩序とはけして宇宙の中心ではなく、巨大なカオスによって束の間に許された「居住区」あるいは「貸し部屋」にすぎない。我々が秩序と信じているものの正体は、じつは我々をとりまく広大な宇宙にうかんだシャボン玉のごとき存在に等しい。
おそらく薄い皮膜のむこう側では、我々が信じているモラルや世界観、哲学などほとんど意味を成さないだろう。